Power'sFactory ブログ

 日頃、ふと思った事をブログ記事として時々アップしています。

個人的な偏り100%内容ですので、寛容なお気持ちで読んでいただけましたら幸いです。

コントロールは1日で身に付く

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全力の功罪

 

むきになった方が負ける

 

常に全力でプレーを。

常に全力で生きよう。

 

「全力で駆け抜ける」=称賛される姿勢、生き方と考えられる時代が続きました。今も続いているのかもしれません。

 

スポーツの分野でも、「常に全力」が当然。

 

間違っているとは思いませんが、「常に」はもう遅れている考えなのではないでしょうか。

 

「じゃぁ常に全力の場合、本当の非常時にどうするの?」

 

と言う話です。身体的に全力、精神的にも普段から全力で行くと、それ以上の事態になった時の余力がもう無い訳なので結果パンクします。

 

勝負事に序盤からずーっと入り込んでしまうと、終盤ここぞの場面で我を失ったプレーで自滅してしまう事が多いです。

甲子園なんか見ているとエリートでも信じられないプレーをしてしまう場面はよく見ますよね。

 

うちに来てくれる学生なんかには、「プレー中は絶対にどこか冷めた目で自分を見ていないとダメ」とよく話すのですが、パソコンと同じで、思考回路も熱を帯びてくるとエラーを起こします。

 

細かな理屈は必要ないですよね。なんとなく分かると思います。

 

 

チームメイトを追い込むな

 

結果的に試合でも普段の練習でも、指導者やチームメイトが追い込んでしまっている事もよく見受けられます。

 

ボールを送球する際に、

 

「取ったら早く(投げろ)!」

 

と周囲は言うのですが、このアドバイスに何の意味があるのでしょうか?

 

アウトを取るのに、早く投げないといけないと言うことは誰もが分かり切った事で、そうしようとしています。

そんな時少々手間取ってしまった途端、あの言葉が周囲から飛びます。

「取ったら早く!」「なーにやってんの!」「連帯責任だぞ」

 

すると次にはもっと早く投げないと!と言う心理が働き、結果更にえいやーーーーーで見事な大暴投。または小さく縮こまってこれもまた大暴投となるんですね。

 

ストライクが入らないピッチャーにかける言葉。サーブレシーブが苦手なチームメイトにかける言葉。分かり切った言葉や、チームメイトをかえって追い込む様な言葉を使っていませんか?

 

悪意はないにせよ、もっとチームメイトの助けになるアドバイスはあるはずです。

 

だだ全力プレーが美。大きな声を出す事が美。

というスタンスはもう要らないと私は思います。

 

どんな言葉がチームメイトを救えるかを考えた効率的な言葉を相手にかけてあげたいものですね。

 

 

必ず心に空き容量を

 

先にも記した「全力プレー」

手を抜けと言っているのではなく、95%全力で、5%を非常事態に備えて冷静にとでも言うのでしょうか。


でその95%が90%にならないように全力でプレーする。

95%全力でプレーする。感なのかな。

もはやこちらも感覚の話になってしまっているので、読まれた方も個々に感覚で捉えてもらえればいいなと思います。

心に空き容量がある時こそ「楽しさ」を感じるのだと思います。

コーチが怖いから楽しくないのもありますが、全力でプレーすることを強要され過ぎて楽しいと思える余裕がないと言う事が大半です。

 

 

ただ、ベイスターズ戦を観ている時は、心の空き容量が無くなります。

お恥ずかしい限りです。昨日もイライラしてしまいました・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナの件で自分を見つめ直す

 久々の久々でブログを更新します。

 今回のコロナウィルスの一件では多くのお客様に、ご理解やお支えご支援頂きパワーズファクトリーは、平日を時間短縮しながらも、ありがたい事に営業を行えている状況です。

 

 お客様からは「影響出てるの?」

 

 とほぼすべてのお客様からご質問受けるのですが、売り上げの面でいけば確かに多くの影響は受けています。が売り上げに関しては周囲のご商売をやられている方はみな同じ状況なので、ここは踏ん張るの一言に尽きますので、出来る事をしっかりやりながら日常が早く元通りに近い形に戻ることを祈るのみです。

 

 私の今一番の心配ごとで言えば、我が家には4歳学年と3歳学年になる年子が保育園に通っているのですが、幼児はまだ原因も不明な突発的な発熱などを起こします。

 

 実際、4月に上の子が1日だけ38度台の発熱を起こしました。その際お店は10日近く営業を自粛しました。子供のたった1日の発熱で月の1/3の営業が出来なくなると言う事です。

 

 お客様の事を考えると自粛は当然の事なのですが、これからも突発的に発熱などの感染症症状が出た際は、自粛を繰り返す。といった事が続いてしまう様なら、かなりの正念場を迎えざるを得ない状況となります。はやくPCR検査が簡易的かつ即効的に出来るようになって頂けると・・・。どうなのかな。

 

 

 さて、こんな時こそ自分を見つめ直すには良い機会ととらえ、もう一度パワーズファクトリーの信念を考え、初心に戻り且つ、10年近くの営業から得た新たな信念も加え、どう営業するべきか整理したいと思います。

 

 ・お客様第一主義

 綺麗事でもなんでもなく、これは絶対。

 おそらく売り上げUPを考えたら、当店で実行していない方法がいろいろまだはあります。

 

 回数券、健康器具や食品の販売(市場価格に反した言い値での)、次回の予約の強制など

 

 ・・・やっぱボクには無理です。

 売り上げ確保には絶対するべきなのでしょうが、

 

 「これはだいたい5回通って治す必要があります」 と何を根拠にそう言えるのでしょうと思ってしまうのです。お客様が専門的な事を分からない事を良い事に、回数を多く通わせる。

 

 「5回通ったところでどこがどう変わったかも分からない。お金だけはたくさんはらったに」と言う声を何回も何回もお聞きしました。

 そりゃそうだ。根本的問題を解決していなければ、そん時は良いけどまたダメになる。でまた通う。良くなる。またダメになるの悪循環。そこを断ち切るお手伝いをするのが私の役割。1回1回全力で、それでも必要であればいつでもお越し下さい!が合言葉。

 

  だから回数券うちにはないんです。

 

 

 ・自分で説明出来ない事は言わない

 結構これ多いです。相手が分からないであろう言葉を使ってうまく逃げてしまう方法。

 

 「リンパの流れが滞ってます」「老廃物が溜まってます」「セルライトが取れます」

 

 では問います。リンパって何? 老廃物の内訳は何? セルライトってそもそもなに?とお客様に聞かれて答えられる施術者はどのくらいいるのでしょう。

 

 自分でもよく分かっていない事をお客様に説明したって理解されるわけないし、そもそもそれはズルい方法です。モヤっと世間で使われている言葉をモヤっと専門家っぽく使って、それっぽく説明した風を装っているって感じがしてボクは好きじゃないです。

 

 日々勉強ですが、ボクにも分からんものは分からんですし、正しい事だけを分かりやすい言葉で伝えるのが努めだと信じております。

 

 

   ・価値観を理解してくれる方を大事にしたい

 40を超えてすると・・・全部が全部を理想通りにこなしていく程の体力も無くなってくる訳でして・・・。時折、講演会やコーチになってとのご依頼もあったりなかったりなんですが、基本的にはお店でマンツーマンで時間を共有したい派なんです。どうやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳の活力

2017年のブログは結局2回しかアップせずに、大変すみませんでした。

理由は特にないと言うか、ネタがあまり浮かんでこなかったということなのです。

 

2016年までは、特に意識せずに「あ、これ書こう」と思いついたものでしたが、どうもその感覚がなくなってしまい、いかんなぁと思いつつも時間だけが過ぎてしまった次第でございます。

 

表題のごとく、「脳の活力」の低下。言い換えると守りの意識ってんでしょうか。それを初めて感じたのが2007、2008年辺りだった気がします。

野球の外野ノックを受けている際、全力で追えば追いつくかどうかの打球を見ながら、脳の奥底で

 

「この後の練習メニューの事考えろ!これ無理して獲ってもしゃーないだろ。」

 

と聞こえた気がして、間に合わなかった様な顔をして打球を追うのを止めたんです。

これがいわゆる「老い」を感じた瞬間です。今でもハッキリ覚えています。

 

脳が「止めとけ」って言うんです。

 

先日40歳の節目を迎えましたが、我々の同世代、それ以上の年代の方が今だに一線級で戦っておられる姿を見ると脱帽ものです。

 

今の様に狭い店舗に1日こもっている生活だと、外に出て行くのも億劫になりがちです。

春先には新店舗も完成し、より街中に進出しますので、もっといろんなところに足を延ばし、脳の活力を復活させていかなければと思っております。

 

どうぞ本年もよろしくお願い致します。

わからん文章

またまた、いや、だいぶ間を開けての更新です。

すいません。

 

今日は気になった事と言うか、大昔から気になっていて、ちょうどお客様と話題になったネタです。

これから掲載する文章をまず読んでみて下さい↓

 

腰痛 (Low back pain:LBP) は未だによく理解されていない筋骨格系疾患である。現段階のエビデンスでは、画像と臨床で患者に現れている症状の間には相関がないとされている。

 LBPは異なる痛みのパターンが現れる。つまり、股関節も同様の症状を示すことがあり、このことが正確に評価することを難しくしている。これらの症状を鑑別することは個々の患者にあった治療戦略を決める上で非常に重要である。

 股関節内の疾患(例えば、股関節形成不全、大腿臼蓋インピンジメント、股関節唇損傷)はLBPと一緒に出現するというエビデンスが出てきている。
 この研究ではLBPの評価を受け治療を行っている患者の観察的疫学横断データ(observational cross-sectional data)を収集した。それに加え、股関節の検査で陽性だった患者と陰性だった患者の痛みと機能を比較した。

 股関節のROMでは、男性と女性の間で屈曲と内旋で違いがあった。股関節のインピジメント検査では101人中65人が陽性だった。FABERテストでは101人中60人が陽性であった。Log-rollテストでは101人中33人が陽性であった。これは、多くのLBP患者が股関節領域に起因する痛みも併発していることを示している。
 この研究は、股関節の可動域制限や股関節テストの陽性があるLBP患者は股関節に症状のない患者と比べて、より重いLBP症状があることを示している。これは認識されない症状なので、LBP患者を評価する際に股関節に痛みがないかを考慮することは重要である。LBPを改善する際に股関節を考慮に入れれば、患者はより早く日常生活を取り戻すだろう。

 

 

さて、これはあるところに掲載されていた内容とほぼ同じ形で引っ張った文章。これを読んで、1回で何を言っているかハッキリと分かる方がどれだけいらっしゃるであろうか?

英文和訳っぽいので、こんな感じになるのでしょうが、医学系の論文は大概こんな文章になりがちで、私を含め一般人がサラッと読んでもからっきし頭に入ってこない。

 

簡単に言えば、読み手にやさしくない。

 

難しく書いてありますが、言っていることは、股関節にトラブルを抱えている方は、腰痛の症状がより重くなりやすい傾向がある。ただそれだけ。

 

この手の文章で面白いのが、まぁなんせアルファベット略を使いたがっちゃうところ。出だしからいちち腰痛をLBPに変えてしまう。厳密に言えば1文字増えているw ウケる。

で、知らない人なら、途中でLBPがなんだったっけ?って混乱を生む。アルファベット略がカッコイイとでも思っているのだろうか・・・。

腰痛でよかろうに。

 

次に観察的疫学横断データ(observational cross-sectional data)のところ。いちいち()を付けて英語載せなくても・・・。日本語でもほぼほぼ意味は分かりませんがw

 

ROM。 Range Of Motionの略 関節可動域の事ですが、これはもはや「分かってるでしょ」の流れで略しか載せず。

 

で、大好きな単語「エビデンス」←日常会話てこれ使う方はほぼ間違いなく医療従事者と言っても過言ではないと言える。でもお医者様は日常であまり使わないような気がします。

セミナー等に出ると、「エビデンスが、エビデンスが、エビデンスが」・・・

エビの形をしたウルトラマンに出る怪獣に聞こえてくる。

 

「証拠」や「根拠」でいいでしょうに。

 

と、いわゆる業界的用語を乱発して、いかにも賢い事を言っているようで、結果訳が分からない文章を作ってしまう事は、往々にしてある事ですが、実はとてもダサい事で、一般の方にいかに分かりやすく伝える。同業界者同士でも簡単な言葉で伝える事の方が大事なのではないかと思った今日この頃。

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E4の脅威

E4に脅えた1週間でした。

某外国メーカーの新規車種ではありません。都営地下鉄駅の出入り口でもありません。

 

文字盤に現れる「E4」

セカンドのエラーでもありません。

 

「出たよ・・・」

 

今年も出たE4。

点火ボタンを押し数分後・・・ジジジジジ・・・ボっ・・・チリチリチリチ・・・・・E4。

 

石油ファンヒーターのエラーコードです。E4。

これやっかいなやつでして。うちのヒーターで出るのは2年連続3回目。

甲子園の新興勢力高並みの出現率であります。

 

E4が出ると点火しようとしても燃焼に至らず消えてしまいます。

昨年の冬に初めて発症したのは1番年代物のやーつ。ネットで調べたら、なになに。

「燃焼温度センサーにシリコンが付着した事による、温度感知エラー」

 

シリコンが何らかの原因でヒーター内に取り込まれ、センサーに付着し、温度を感知しなくなりエラーとなり安全の為自動停止するんだって。

シリコンなんてねーぞ。と思っても吹き出し口が真っ白(この白いのがシリコンなんだって)

 

センサーを交換しないといけないと言う事らしく、近所の量販店で修理の問い合わせをしたところ、保証外なので、実費修理約1万5千円だとさ。新品買える修理費ってよ・・・。

 

もう年代物だし、いいや、やったれとドライバー片手に分解だぁ。

ガチャガチャ。・・・・・・後ろを振り返るともう戻れない。ってかもう戻せないw

さっきのネジ外した時、基盤のコードがちぎれちったから((+_+))

 

バッラバラのスクラップ。

でもセンサーがどこだかわかりやしたぜ。経験値アップ。

 

 

その数週間後・・・・E4

なんだよ。またかよ(怒)2台目も感染E4病。

うちにシリコンなんてないぞ。

 

やったる。今度こそやったる。と

再び分解。・・・・・・・・・・あり。なんか行けそうよ。

前回と同じっぽいけど、経験がある分サラサラと開けれたった。

燃焼室の金属棒がセンサー。真っ白け。

拭き拭き。おわり。

たったこれだけ。

 

テープ巻き戻しの如く元通りに組立スイッチオン。

ドキドキ・・・してる間にボっ。

ウソみたいに普通に燃えてる・・・。直った。

今も正常運転。

 

今年もまた出たE4。

去年買った新品。これも真っ白け。

なんなんだろうシリコン。

どっから出てくるんでしょ。もうやだ。

 

けど、こっちも腕が上がってるから30分で直したったぜ。

フフフ。ざまーだね。

※あくまで自己責任ですが。

 

 

2回の分解でネジがなぜか2本余っているのはご愛嬌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり昭和が好き

最近の店内BGMはもっぱら昭和の歌謡曲が定番です。

間違いないです。

 

30代~それ以上の年齢層はもちろんの事、意外とそれ以下の若い方々にも受け入れてもらえている印象です。

 

「この曲知ってる?」

 

と聞いてみても知ってるとか、聞いたことあると言う回答がほとんどです。

お母さんがカラオケで歌ってたとか、youtubeで観たとか。tubeってったらボク等じゃTUBEと表記する「ビーチターィム♪ 青い夏のせぇいさぁ♪」です。

 

「誰かは分かりませんが聞いたことあります。」

と言う高校生に質問した曲が赤いスイトピーであった時の、聖子ちゃんを知らんのか!ショックは軽くはないですがね。

ドリフも分からんって言った子もいたな。これはもはや徳川家康知りませんと言ってるレベルなので、遺憾の意を表明しておきました。

 

しかしなんとも昭和の歌謡曲の魅力は歌詞です。と思います。

今ごろになって、たかじんさんの「やっぱ好きやねん」を聴いてみれば、現代じゃそれこそ炎上騒ぎのゲス男と純粋な(いやもはやアホな)女の唄。

でも分かるぅん!と苦笑いしながら聞き入ってしまいます。

 

 

科学的にも生まれた世代に身に付いたリズムと言うのは、そう簡単には変える事が出来ないらしく、

 

「今どきの歌は何言ってるか分かんねぇし、唄えんなぃ」

 

と言うのはむしろ正常で当たり前な事らしいですね。

なので、秋元さんの歌は今の子たちが唄っても、80年代リズムなのでさっくりと耳に入ってくるそうなのです。

しかし、80年代に歌謡曲を聞かなかったさらに上の世代の方はそれすらナウい曲である為に、AKB唄ってみても、

 

「あいたかった~、あいたかった~、あいたかった~、イェイ」が

「あ~いたかった、あ~いたかった、あ~いたかった、イェイ」になっちゃうんですって。

 

音楽だと、今でこそいろんな所から昭和を引っ張り出せるけど、

それ以外には、数も減ってなかなかお目にかかれなくなった昭和があります。

・カランコロンで入って、独特のレストラン臭が漂う喫茶兼洋食店

・赤ちょうちんで、演歌の流れる居酒屋(これは未だ未経験。けど言ってみたい一人で)

・ダブルライトで、6段ギアチェンジ、変な電飾がついたチャリ

・適当に手を突っ込めば魚がいる川

・一向に耳から離れない変な歌のCM

・道の駅じゃなくてドライブイン

・大洋ホエールズw

 

書いてたら泣きそうになってきました。

 

ファミコンのミニ版が即完売になったり、カセットテープがまた流行りだしたというニュース。

ニヤニヤしてしまいます。

32だか64だか知らないけど8ビットが懐かしい。

 

昭和カムバック。

みんな絶対好きなはず。

感情のバランス。

 

CSにまで駆け上ったわがベイスターズも本日at広島で終戦を迎え、悔しくはあったものの、ようやく精神の安定を手にすることが出来ました。例年に比べ2週間ほど遅く心が穏やかになる季節になりました。

 

感情と言うものはやっかいなもので、高ぶり過ぎても厄介者だし、低すぎてもノリの悪い人だし、そのバランスってやつが非常に重要なものです。

とかくこの日本人ってのは、周囲の環境に見合った感情でいなければたちまちへそ曲がりな扱いを受けるある意味厳しい国家です。

 

笑うべき時に笑わなければ「つまらない人」

泣くべき時に泣かなければ「冷たい人」

 

そう、「♪そつぎょうしきで~なかないぃと~ぉ、つめたいひとといわれそぉぉ♪」

と斉藤由貴さんが唄ったように、その場でいかに適切な感情を出せるか。あるいは不適切な感情を抑えるかが、この国でのお人柄の評価に直結します。

 

恋愛なんぞも・・・それの極みですね。

相手とのバランスが欠如した途端に一気に壊滅的方向へと進路を取ってしまいます。(と思いますw)

彼女はクールなのに、ボクが好き好きビーム出しまくれば、うっとうしさ満点で終了。

彼女が好き好きなのに、ずぼらなボクはメールも3日無視してたら突然にこれまた終了。

 

要はいかに相手の感情にお付き合い出来るか。向うもそう思ってくれるかで一方通行は必ずどこかで袋小路に入ってしまうと言う事ですかねぇ。
って雑談で話した浅はかな内容を書いてみました(汗)

 

おわり

 

昔からそう言うもんだ。

9月に入ったら途端に朝晩が涼しくなってきました。

ちゃんと季節は移り替わるものですね。

 

と思っていたら、もううちのすぐ横の小学校は運動会の日を迎えた訳です。

数日前からその情報はお客様からゲットしていたのですが、すっかり忘れておりました。

 

「あ、今日は運動会だ・・・」

 

それを思い出させてくれたのがですね・・・例のあれです。

 

ドン・・・(ちょっと無音)・・・ドドドッドン!ドン!ドドン!

ドン・・・(ちょっと無音)・・・ドドドッドン!ドン!ドドン!

 

ぶっぱなしますよ。轟音花火。

朝6:00ピッタリに。

 

今まで毎年の事で、いまいち気にもしていませんでしたが、今年は横に0歳児が眠っている状況になっておりましたから、さすがに「おーーーーっ!」と思いました。

いや6:00にこれはかなわんな・・・。

 

あの轟音は「今日は運動会やりまっせーーーっ!」のおしらせと捉えておりますが、今日はそりゃそうだろのピーカンお天気。いや、花火は打ってもよいとして、そろそろ「6:00はね~だろ」のご意見はないものでしょうかねw

そこは現代の情報網は使わないのね。花火なのね(^-^;

 

6:00にロケット花火打ち上げりゃご指導を賜るのでしょうけども、

あの轟音は不思議とそこはノンクレームなんですね。

そりゃ運動会ですもの。「昔からそう言うもんだ」で決着です。

 

同じようなことでももう一つ。

野球のユニフォームのズボンスタイルが年々変化し、メジャースタイルなスパイクまで隠れるくらいのモデルが普及してきた昨今、ちゃんとした大会になればなるほど、長いズボンスタイルは禁止だっちゅうんです。ストッキングを出しなさいと。

 

「ストッキング出すのはなんでですの?」

 

と、へそ曲がりなボク、その昔ある大会の審判長に不意に質問した事があるんです。

そんな質問されると思わなかった審判長、こう仰いました。

 

「安全の為」

 

いやいやいやいやwズボンは長くて脚が隠れた方がスパイクの歯から守れて安全でしょう!

とは突っ込みませんでしたがね。

 

野球はベ~スボ~ルとは違う。日本では昔からそう言うもんだ!

 

と言う審判長の心の声が聞こえた気がしましたよ。

 

 

「伝統」は守るべきです。

ただちょっと伝統とは違う、そこは柔軟にいきましょうやって言う、ルールがあってないような習慣、風習、意外とあるものです。

 

※今日はお客様から、ママさんバレーは、昔ながらの真っ白なボールしか使用してはいけないという情報をゲットしました。(黄色と青などのカラーボールが一般的ですよね) なにそれー!

理由は分からないそうです。表面が硬くて回転も分からなくて、ただただやりにくいそうで。

工場の製造を終了してもらうしか手はないと笑って仰っていました。

 

日本人に生まれて

リオオリンピックが始まりました。

今日の午前中に男子サッカーの初戦をTV観戦しましたが、結果は4-5の敗戦。1点差ではありましたが、ご覧になられた方は分かるかと思いますが、完全に「でぃすいず じゃぱん」の負け方、失点の仕方。でしたよね。

 

毎回、毎回スルっスルに抜かれて失点してしまう展開。何回見たか分かりません。ボク等がおいおいと思う事、当事者が分かっていない訳ないので、ここで素人が唱える技術的な安い議論はなしで良いとして、なんで?って考えてみました(完全に個人の妄想ですから、サラッと聞いて下さい)。

 

ボクがあの場にいたら・・・。単純に個々に人としてコワい。

あんな筋骨隆々でデカいナイジェリア人。サッカー選手とかじゃなくて、普通にコワいw

厳しく当たってそのあと、胸ぐら掴まれたらど~しよう(T_T)

相手が痛いって事しちゃったあと、取り囲まれたらど~しよう|д゚)

 

みんな、こっちのクラブにも外国人いるけど、全員コワい人(コワく見える)とは全く意味が違う。

 

ボクなら表向きがっつりやってるっぽいけど、ミリ単位で腰が引けるなぁ。

脳内のリミッターが一瞬働くと思うんだよな。

 

実際、さっき、コンタクトプレーで日本人倒されて相手に怒って「あああああっ!!」って言ってたけど、視線はあさっての方向見てたもんな。

あんなおっかねー人に「あああああっ!!」って視線合せて言ったらマジやばいもんね。

 

やっぱ日本人てやさしい。

そう思います。

スポーツ選手VSサバイバル戦士 

 

他競技でも、もっか内戦真っ只中でどこで練習してんのって国でも、ハイテクじゃぱんはやられちゃう。

今時精神論はナンセンスって言うけど、勝つには技術だけでは絶対にないですよね。

本音を言えば「○○ジャパン」てやつもやめた方がいいと思います。侍、トビウオ、神風、マーメイド、フェアリー、ポセイドン、あとなに?  もーぜんぜんコワくないw

きっと外国選手腹抱えて笑ってる。

 

世界の頂点に常に立つには、相手を平気でぶっ倒してしまう図太さやら、自分のミスも他人のせいだと言える傲慢さがきっといるんでしょうに、絶対そうはなれない日本人。

じゃぁ世界には立ち向かえないって言っちゃ身も蓋もないけれど、やっぱ長年消し去れない事実であり。

相手と直接コンタクトが無い競技ではそこそこイケる競技が多いのもこれまた事実であり。

 

どんなラフプレーでも頂点極めるならやっちゃるぜって日本人が出てきてもそれはそれで切ないし。

 

フィジカル的ハンデを持ちながら、さらにバファ○ンと同じくやさしさで出来てる日本人。

それでもなんだかそんな姿も愛おしい。

いやいや、世界に勝つにはそれじゃいかんのです。

ホントに応援してます。

 

 

スポーツ、見た目から入ろう2

過去に「スポーツ、見た目から入ろう」という文章を書いたことがありますが、その第2弾。

 

最近はプリント技術や、データ化技術の向上に伴い、簡単に複雑なデザインが、衣服にプリント出来るようになったおかげで、非常に凝ったユニフォームを目にするようになりました。

 

その昔は厚ぼったいベース布に文字を模った圧着シートや、ミシンによる刺繍なんかで、ゴワゴワなユニフォーム。しかも手間がかかりますからお値段もなかなかなものでした。

 

現在は非常に安価で出来る訳ですから、気軽にユニフォームのデザインの変更も可能です。

しかしそれによる、ある意味弊害も出てきています(ボク個人的なw)

 

ご存知の通りボクは横浜DeNAベイスターズのファンなのですが、ここのところのプロ野球全般での流行りが期間限定ユニフォーム。それと2シーズン位に1回の割合で行われるユニフォームのデザイン変更。

これがかなわんのです。

 

ユニフォームを身にまとって球場観戦と言うのが今のスタイルなのですが、この観戦用のユニフォームが約8000円強。なかなかです。普通に8000円の服持っていませんw

勇気を振り絞って購入した翌シーズン「ユニフォームデザイン変更のお知らせ」

ざっけんな!。購入して1回しか観戦してないユニフォームがもう旧型に格下げ・・・。

また8000円を握りしめて同じ過ちを繰り返しにショップへ向かうのです。販売側の思惑に乗っかるのです。

 

伝統と格式あるユニフォーム・・・など今の世には存在しなくなりつつあります。

 

 

挙句の果てには、暴走が止まらないチームもちらほら。

 

ピンクのチェック柄ペンキをぶちまけた柄

 

ひどい。ひどすぎる。

コンセプトは各々自由ではありますが、戦うという意味で相手がこれ着ていたら、うちでなくて良かったと思う訳で、着る側もこれで戦う気になれるのか疑問です。

応援する側だって、いつものカラーでなければ自分のチームじゃない感じで気持ちが落ち着きません。

もしDeNAが「勝利の炎、レッドユニフォーム!」出してもそれじゃカープ観てる気分です。

 

パの常勝チームも急に青いユニフォーム着始めたら途端に連敗。

 

急に出たブルー柄

 

いつもの黒に黄色はもう強い!のイメージだけど、これだとあの強いチームのイメージがまるでなく、なんだかいけそうな気がするぅ~~♪

 

 

収益もイベントも大事ですが、なんでもやりゃ良いってもんでもない気がするのは私だけでしょうか?

人はほぼほぼ見た目の印象が強く支配します。

戦う場では特にその心理が影響を及ぼします。ある一定レベルの競技で、ユニフォームの色別の勝率を出してみるのも面白いかもしれませんね。(アメリカのカレッジではそんなデータがあると聞いたことあるような)それで、コンマ1%でも勝てる要素が上がるのなら、重要なポイントの一つになるかもしれませんね。

理論も大事だが。

すっかり4月の更新をサボってしまいました。

 

SNSを眺めていたら、いわゆるトレーナー的団体のボスが、ある有名なプロ野球選手の打撃練習写真を載せなながらこう一言呟いてた。

 

「早く、誰かがなんとかしてあげないと。」

 

どこをどのようにと言う記述は一切なしのまま。

そしたらそのボスのお弟子さんたちでしょうか次々に

 

「ホントですね!」「あらら。大変なことに」「あそこのポイントの事ですね」

 

と。ハイハイぼく達には分かってますよと言った感満載のコメントがズラリ。

 

 

これ、当のプロ野球選手が見たら相当頭にくるでしょうね。とボクは思った。

言いたい気持ちは分かるけどさ。

 

選手にしてみたら、お前らにオレの野球の何が分かると。

 

子供の頃から何十年と続けてきたプロ(しかもこの選手はタイトルも獲っている)に対して、○○骨の角度がどうたらで「こいつダメだぜ」のレッテルを集団で貼ってしまう。怖い。

他にやる事があるだろうと思う。

 

確かに理論ではバランスが取れていた方が良いに決まっているが、取れていないから試合に勝てないとかケガを確実に起こすと決まっている訳でもない。

CMに出て来るあるスポーツの世界No1プレーヤーの背中の左右差がガッタガタなのに愕然とした事もある。でも彼は紛れもなく世界一である。

 

きっとそこには彼なりの、彼独自のバランスがあって、彼だけが積み重ねたノウハウがあって、彼だけの競技に対する心がある。魂と言うべきか。

 

それが世界トップじゃなくても、高校生でも小学生でもきっと全ての人たちが何らかの形で独自の形と心を持っている。そこを理解していかないと「お前が庶民を語るな」と思ってしまうどっかの日出ずる国の政治と同じになる。

 

明らかに反対方向を向いている場合は無理やりでも正す必要もあるかもしれないが、彼らの取り組み方に、理論や理屈だけ抱えた人間が土足で踏み込む事はあってはならない。

みんな確かに興味があるとこだけど、それにしてもちょっとこの頃、いろんな理論(科学的根拠の理論より、その人独自の持論が圧倒的に多い)が多すぎる気がする。

 

 

とかくボクらの様な事を生業にしている人間は、人様から何らかのアドバイスを求められる機会が多くなるので、全てを悟っている様な気持ちになりやすく、上から目線になりやすい。

その範囲はズブの素人のクセに、アドバイスと称して分かったような事を言いかねない場合がとても多くなる。これは本当に危険な事。ボクも気を付けなければならない。

 

そろそろお田んぼの季節。

草刈りから何から皆さん本当に大変ご苦労をされながら作業を行っている。

そんな所へボクがひょこひょこと「苗を植える肘の角度はもうちょっと立てた方が良いですよ。」

と言ってみたもんなら、

 

・・・うるさいのである。

 

 

「礼儀正しいね」の本質

春の選抜高校野球も開幕し、すっかり春色も濃くなってきました。

その甲子園中継を観ながら毎回突っ込みたくなるシーンがあり、それを今年の中継を観てまた思い出したので書いてみようと思います。

 

そのシーンとは・・・試合開始前辺りで流れる各高校の紹介VTRです。

オルゴール音をBGMに郷土の歴史、観光名所等の後に来る、出場高の野球部員の集合コメント。これが面白すぎてしょうがないんです。

 

パターンとして、まず、キャプテンが素振りをするか、ボールを受けるか何らかのワンアクション入れての意気込みコメント~最後にみんながワァーっとなってワッショイワッショイ。

皆さんもご存知ですよね。

 

高校生が短時間のなかで、あぁしよう、こうしようと考えなおかつ最大限アピールしたい気分となるとこんな感じになるのは関の山なのですが、一番の突っ込み所は、キャプテンの喋り方と全員の掛け声なんです。

 

「んちゃ(こんにちは)○○こぅこぅ 主将○○です・・・・」と始まり、最後に

 

「ぜっあいあつぞっ(絶対勝つぞ!)」・・・・「(みんなで)おおおおし!

 

高校の野球部経験がある方あるあるとして、どうしても挨拶が「んちゃ」になってしまい、以降人前で喋るときには必ず(目上の方に対する時)VTRのキャプテンの様な野球部語になってしまうんですね。

ありゃほぼ軍隊のそれです。

オイオイ言ってて何言ってるかも分からんけど、謙虚っぽいのは伝わる。てな感じです。

 

学校内では先生方、先輩方に廊下ですれ違う際は必ず挨拶するのがルールなんで、そのたんびに

「んちゃ」・・・「んちゃ」・・・「んちゃ」

「んちゃ」は鳥山氏作のロボットガールの専売特許のはずですが・・・。

 

挨拶をされる側となれば、すれ違う度に「んちゃんちゃ」言われるので、ほぼほぼにして気持ちが悪いですし、正直に言ってそこに心は感じないものです。

 

挨拶する側は、言えと言われてるからそれこそロボットボーイ化して「んちゃ」を連呼しておけば良いのだから楽な話で、当然心は込めてはいないのです。(ボクはそう思っていました当時)

 

言っときゃいいんでしょ側と言われときゃいいんでしょ側の無駄なコンタクト。

それでも世間様からは「部活動をやる子は礼儀正しい」と評価は頂けるのでラッキーなお話です。

 

でも大事なのはここからで、

「んちゃんちゃ」言えていた礼儀正しきロボットボーイが数年後、大人になって通りすがりのお爺さんに「んちゃ」と言うかと言えばそんなこともなく、しれっと過ぎ去ってしまうのですね。

「んちゃ」と言っててもそれは怖いものですが。

 

要は、野球部と言うレッテルから解放(あえて解放と言う)された時、自分と言う個人として、ニッコリ笑顔で「こんにちは」と言えるようになっているのかと言う事が重要であって、学生に挨拶を指導する前に私個人がそう出来ているのかを見直し、学生にもそれを見せていくのが本当なのだろうなぁと思いました。

 

先日ボク雪かき中に、下校してきた近所の知り合いの小学生だと思って「おかえりっ」って言ったら、全然違う子だったらしく(顔を完全防備で隠してたから)、その子は怯えたように立ち去って行きました。

むずかしい世の中になったものです。トホホ。

恐ろしきD.I.Y

 

年10月から移動した当店も、そこそこ形になり落ち着いてきました。ただここは賃貸の為、内装はすべて影響のないレベルでの手作りとなりました。

 

最近ちまたで流行りのいわゆる「D.I.Y」

Do It Yourselfでしたっけ?

よくよく考えてみたら、自分自身で作るって意味ならMyselfだろうがと思わくはなく、あなた自身のYourselfになったところが、投げかけ側、販売側の造語・思惑だなぁと細かい所に突っ込みを入れつつ、カンコンカンコンと部屋の内装作りを進めてきたのです。

 

お客様も「一人でやったの?へぇすごいねぇ」と感嘆して下さる方もいらっしゃいますが、あくまでも感嘆の頭には「手作りのわりには」と言う見えない前置きがついており、じゃぁって、実際にそのお客様のご自宅の内装をボクがやったら恐らくキレられるのですw

 

 

そんなD.I.Yに関して、実は時折ボク自身「なんて天才なんだ」と感じるがありまして・・・。今日もその天才ぶりを発揮し、多少酔いしれながらのブログ更新です。

 

そもそもO型のボクはこうした作業に関して計画性はまるでなく、思いつき・感覚・衝動・と言ったフワフワした言葉に表される感情で行うもんですから、まぁ再三にして失敗、サイズ違い、挫折を繰り返し、すったもんだしながら、強引にねじ込みゴールを迎えるのです。ひどい時は17型と26型の電球サイズさえ確認せずショップへGo!。売り場でどっちだったっけぇ・・・とひしゃげて1/2の確率に勝負をかけて結果当然外れるという有様。もちろん鼻から図面など存在しないのであります。

 

そんな中、ホントに極まれに、奇跡のドンピシャ完成を迎える作品があり、その時ばかりは己を「天才」と感じずにはいられないのです。

 

 

日、お客様の足元を温める「赤外線温熱器」なるコタツのクレーン版みたいな代物の調子が悪くなりました。電源を入れるとジャリジャリと音がなり、赤外線ランプがお化け屋敷の照明のように明暗を繰り返すのです。こりゃ変だとソケットをいじってみたら、電極部の金属がポロっと取れてしまいました。ハイ、終わり。

 

ざっけんなっって、分解してみたら、ソケット自体が完全に腐食していてボーロボロ。台座も耐熱用のはずが、もはや落雁。さわれば土台がサラサラと崩れだしてしまうではありませんか・・・。なんじゃこりゃ。

某アジア大陸国製のこのマシン。やべぇクヲリチーをしちゃってます。こんなもん使ってりゃあぶなくてしゃぁないけど、お客様の足元も温めたい。

 

こりゃ直すしかない。

 

 

さすがに今日は26型と確認してから量販店に。電気部品棚の前でにらめっこ。

土台はどれにしよう。スイッチもなきゃ不便だ。迷ったけど、えーーーい全て感覚でチョイス。

作業内容は省略。小一時間。できちゃったもんね。ちゃーんと土台もぴったり。スイッチも繋げて(銅線をスイッチパーツに繋げただけ・・・)ネジはサイズが合わないから困った時のロックタイでビビビのビ。

 

イェーイ。全部made in ジャペェーーーン♪ ジャペェーーーン♪(部品がね)だから、ジャリジャリも言わないし、お化け屋敷もない。ボクのD.I.Yのレベルが、某大国の製造レベルをいとも簡単に超えた瞬間です。天才です。

 

・・・・・・・・・・・・こんな感じです・・・。

1勝9敗のギャンブルで、その1勝だけが忘れられずに続けてしまう様なしょうもないレベルのお話です。

ボクが足元にポカポカランプを点けたらお客様、ご覚悟お願い致します・・・。

 

役立つ事に時間を使え

物事を繰り返し行う事、あるいは長い時間身を置く事によって、人はその行為、環境などに慣れていく。

スポーツに関しても、日々の繰り返し(練習)によって技術を身に付けていく。

 

ボクも施術の際、お客様との会話を交えながら手を動かしているとき、脳で意識しながら行っていると言った認識が無い場合が多々ある。これも日々の繰り返しによるもので、身に付いたものと言ってよい。

パワーズファクトリーを立ち上げてから、約4000名の方にお越し頂いた。言ってみれば4000回練習したわけで、それ以前の修業時代も相当な数施術させて頂いたことを考えれば、それだけ繰り返し行えば、少しは上達したと思っても良いのかな・・・。それはまぁ別として・・・。

 

 

物事の繰り返し作業で、おそらくボクの人生の中で、整体施術以上に繰り返し、且つその繰り返しが役に立たなかった事がある。それは・・・

 

「トスバッティング」それである。

 

野球に詳しくない方には分かりづらいかもだが、パートナーが斜め前方から片手で軽く下から放ったボールを正面のネットに向かって繰り返し打つ練習である。

今の様なグラウンドが使用出来ない冬の季節の定番メニューで、ビニールハウスの中でひたすらペチペチと時間が来るまで打ち続けた記憶がある。次男O型左ききの「要領の良さ(楽のしたがり)」NO1であったボクには地獄の時間であった。

 

その結果残念な事に、あれだけ回数トスを振ってきたにも関わらず、

正直言って、春先実戦に入った時

「冬場のあのトスバッティングが役に立ったぜ!」と感じた事は1回もなかった。

未だにあれが何の役に立つのか分からない。

トスが役に立ったと言う方がいるならお会いしたいと思うが、存在するのだろうか?と感じるくらい皆同じ様に思うはずだ。

 

理由はただ一つ。実戦でのバッティングとトスでのバッティングでは、打ち方(ボールの捉え方)がまるで違うからだ。と自分では思っている。

 

パートナーに打球を当ててはいけないから、正面からボールを投げてもらう訳もいかない。結果的に斜め前から投げてもらう事になるのだが、その時点でもうおかしい。いくら鋭い変化球でもあの角度から入って来ることは絶対にない。

 

更にこの練習は右打者でいけば、ほぼセカンドの守備位置の方向からボールが入ってきてセンター方向に打ち返していることになり、それを実戦に置き換えてみると投手が投げたボールを、ショートの守備位置に向かって打ち返している格好になる。日々ボールを三遊間に引っ張る練習をしているのと同じってわけ。

 

そのくせ、冬場に地獄のトスを押し付けてきた指導者側は、実戦になると追っ付けて一二塁間に流すバッティングを推奨したがる。ボクも追っ付けるバッティングが出来てこそと言う理論には賛成だが、実際やっている事はまるで狙いと練習が逆になる。

ずっと引っ張る形の練習をしてきたのに流せと言われてもそんな簡単に出来る訳がない。

 

学生なんかは、どれだけ振ってなんぼ、手の皮を剥いてこそなんぼの様な、変な美学もついてくるから、痛くて痛くて正常な振りが出来なくなり、手が痛くならない振り方を模索し始める。変な打ち方を繰り返し、時が流れるのをひたすら待つ。時間を消化する為だけの練習

こんなんで打てる様になるのならみんな大打者になれる。当時はそれでも良かったからそれを批判する気は皆無だが、これだけ情報を簡単に入手出来る時代になった現代でも過去の停滞したままな事をやっているとしたならこれはいただけない。

 

せめてトススタンドを使うか、小銭抱えてバッティングセンターにでも寄って50球ばか打ってさっさと帰って家で素振りした方が実戦としてはよっぽど役に立つと思う。

トスバッティングをやめろとは言わないまでも、もっと実戦に近い形で打たないと意味がない。

 

それでもボクの時代から進んだ現在でも、午前中はコンクリートの上をダッシュし、そこ鍛える必要あんのか?って箇所のウェイトトレーニングをこなし、午後はただひたすら竹の重いバットで数時間トスを打ち続けると言うあの「冬レン」を行っている話を聞く。

 

結果、相当数の生徒が腰痛を発症しパワーズファクトリーの門を叩く。

身体の硬いままにトレーニングを行いさらに硬くしてから、トスバッティングで1方向への偏った脊柱の回旋運動でとどめを刺す。ボッキリトホホの分離症・・・。

 

「腰が痛いです」と訴えた生徒に「お前は弱い」「楽をしている」と心温まる言葉を投げかける指導者。

指導者のご機嫌を損ねない様に、ケガを隠しながらボクのところで何とかしようと来店される子も多い。

「ここが痛いですなんて絶対に言えない。そんなのがバレたら本当に怒られる」と口を揃えて言う。

 

壊れるようなメニューしか思いつかない挙句にケガにを気づかない。

信じられないが、相当数そんな指導者が存在しているそうな・・・。

いったいなにしとんじゃい!

とボクは声を荒げて言いたい。

 

冬場になるとこの手の学生は必ず何人も現れるので、いい加減今日は敢えて言葉を強めて投げかけてみましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地獄の一丁目

先月末に地獄を見ましたよ。通算2回目の胃腸炎。

2日間東京に出掛けて戻った翌日の夜。予告もなく一気です。経験された事がある方は分かりますよね。


前回が2002年か3年でした。まだノロだ、なんだと言う名称は全く流通していない時代でしたけど、結構我慢しちゃったので、いざ病院となった時にはすでに脱水症状全開で立つにもやっと。で動くとすぐにWCにヒアウィーゴーな感じになっちゃいました。


今でも思い出す話。病院で診察「こりゃ入院だね」とセンセの一言。今では感染防止で入院はさせないんだとかで。当時はまだ入院OKだったのですね。


んでもって、病室に行こうにも歩くことが出来ずにトホホな車いす。

きれいな看護師さんがカラカラ押してくれてたんだけど、その途中でボクのおなかはゲリラ豪雨な予感。

やっべっぞってな冷や汗をかきだしたその時、看護師さんから出た言葉。


「中嶋君だよね?」


うはぁー顔を見てみれば、中学の時ちょっとカワイイなと思っておった某シェンパァイじゃなかとですかぁ!


最悪だ。ホントに最悪だ。なんでこんな時に・・・。

でもここでババ垂れるのはもっと最悪だ。タイムリミット直前。ポーン、当機は間もなく離陸致します。


うぬーもうこれは仕方がない。勇気を持って初めての告白。


「あはは、どうも・・・お久しぶりです。で、すいませんWC寄ってもらっていいですか?」


「あっいいですよ。じゃぁWC行きますね」カラカラ。


やさしいシェンパァイ。でもそのやさしさが余計にボクの心を重くさせる。

最悪だ。小学生なら半年間はウ○コマンの称号を頂けるなぁ。

でもいい。WCに行けるなら。それでいい。


ついにWCに到着しましたよ。助かりましたよ。と思った束の間、このトイレ扉が無くてカーテンしかない・・・。どういう訳だ・・・。


「なにかあっちゃいけないので、ここで待ってますね」とシェンパァイ、たったカーテン1枚隔てた向う側にお佇んでいらっしゃる。「よくある事だから気にしないでね。ウフフ」

最悪の極致。ここに極めり。

この状況下を気にせずにいられる人物がいたらそれはもはや悟りを開けるレベルですよ。

なにかあっちゃでも、絶対なにもないよぉシェンパァイ(涙)


こうなればもはやこれまで。もう破れかぶれ。

「シェンパァイ、耳塞いでてね・・・南無三!!!」


スペースシャトルは無事打ち上げに成功しましたとさ。

と言うホントにくだらない逸話を思い出したと言う話です。

しょうもない内容でホントすみません。


胃腸炎でご迷惑をおかけしたお客様、大変申し訳ございませんでした。(それが先だろ!!ですね)






なぜ、それでなきゃならないの?

すっかり夏の陽気の過ぎ去り、ブログの更新を開けてしまいました・・・。と言っても前回の更新から2つもブログをボツにしておりまして(書いているうちに自分が混乱してしまうw)、ネタが消え失せてしまった次第なのでございました。

 

この季節、衣服選びが難しく、頭を悩ませ結果ほぼ毎日変わりもせぬ選択肢をチョイス。真冬までなんとか凌ぎ切る事になるのですが、ファッションと言うものは本当に難しいものです。

 

スポーツではユニフォームが存在し、それを着ていれば済むので(ゴルフなどは大変ですね)、それほどファッション性について頭を抱える事は少ないのですが、それでも、「なぜ、それでなきゃならないの?」と思うものがいくつかあるのです。

 

まずは、ソフトボール(女子)。なんで短パン!擦り剝けるでしょ!

それから、帽子でなくサンバイザー!暑い!日に焼けるわよ!

あれなんででしょ?と思って、ソフトボールを長年やられてる方(40代女性)に聞いてはみたんです。

 

「なぜ、ソフトボールは短パンなのですか?

「なんでだろー、強いチームほど短パンだったから憧れたぁ」

 

「あなたは短パンでプレーした事は?」

「ないない、上のレベルじゃないと穿けない」

 

「憧れていたんですよね?だったら来年短パンでとチームに提案してみたら?」

「ムリムリ♡」

 

「では、サンバイザーは?」

「そういえば、なんでだろうね。ウフフっ」

 

「・・・ありがとうございました。」

 

と、まぁ答えにならない答えを頂いたところで次。

 

 

ビーチバレー(これも女子)。明らかにビキニにした方が競技力が増すのであれば理解のしようもあるのですが、ビキニでなければならない理由が見つからないのです。確たる理由がなければそれこそ興味深々メンズの目の保養になってしまう!こいつも国体に参加したウィメンズに聞いてみよう。

 

「なんでビキニなの?」

「分からないです。ビーチっぽさ? でもトップレベルは必ずビキニでって言うルールありますよ。」

 

「へぇ、ビキニの方がやりやすいとか、現場ではなにかメリットとかないの?」

「私の場合はないです。むしろビキニが嫌だからって、競技人口が増えないんです。」

 

・・・だそうな。

共通しているのが、本人たちはいまいちその理由は分からないと言う事と、トップレベルがそうしているという事の2点。日本人のファッション感覚の特徴である「真似ておけ」の名残でしょうか・・・?

 

 

その真逆もあるんです。

それが野球なんですが、ほら、足元のストッキング。今やスパイクまで覆い隠すようなメジャーリーグスタイルもあるのですが、日本のプロ野球はOKで、高校野球や軟連関係ではNG!ストッキングは出しなさい!なんです。

安全面ではストッキング+ズボンの2枚構造になるメジャーリーグスタイルの方が安全だと思うのです実際にダメなんだって・・・。でもストッキングを履く理由は「安全面の考慮」なんですよ。矛盾。

 

おかしな事なんですが、プレーする側としても、メジャースタイルの選手が相手にいるとなんだかチャラっぽく思えて勝てそうな気分になるのは事実なんです。「草野球っぽいのがいるぞ」って。だから、メジャースタイルにするべきとも思っていないんですが、なんでルールにしなきゃなのかが分からないのです。

 

以前、審判の方に聞いてみた事がありますが、その答えが・・・

「そういうもんだ」

ってんです。規制する側も理由を持っていないんですね。

 

でもみんな、なんとなく理由は分かっちゃいるんですよ。

「ダセぇ」んです。いや、言葉が悪いな。「見た目が悪く思える」んです。

日本人野球の場合、プロだとそっちの方が自然なのに、高校生、一般人が真似ると超ダサく見えてしまうのですよ。不思議とこれがまた。なので、ソフトボール、ビーチバレーはレベルが上がる程、服装をトップに合わせにいくのに対して、野球はトップと草野球のピンとキリの規制が緩くて、学生からノンプロまでは制限が厳しくなります。

 

このスタイルの出どころが、ガム、噛みたばこクチャクチャ、唾ぺっぺのメジャーリーグ舶来物ってのも要因ではあると思いませんか?これがもし日本のトップメーカーが発案した「最新の安全面を最大限考慮し、くるぶしまで覆った日本独自の侍デザイン!」として始まっていたらまだ扱いは違っていたような。

 

トップレベルに真似て行ったソフトボール、ビーチバレー。トップレベルとは一線を画した野球。どっちが良いとかでなく、どっちもなぜそうじゃなきゃならないのかをプレーヤーが知らない事実。

審判の答えが一番日本人の発想の的を得ている気がします。

 

 

とかく同じ様に、教える側、規制する側、伝える側もその理由が分かっていないのに、自分もそうされてきたからと後世に横流ししている事が多々ありますね。

「そういうもんだ指導法」は教えられた側の「なぜ?」「こうした方が良いんじゃないか」「自分がこれをやりたい」と言った自由な発想力を奪います。これは指導者本人の信じる正解であって、生徒側の正解ではないかもしれません。これは指導側の怠慢です。


もう、考え直さなければばなりません。

心を買われた過去

ボクはその昔、人に物品で心を買われた事があります。

いわゆる贈収賄です。


びっくりしました。今の時代検索すれば何でもヒットするもので、

某三枚葉のメーカー製、赤のナイロンバッグ。右の写真のまんまそのもの。まさか画像が出て来るとは思わず、懐かしさで声が出てしまいました。そうコイツの心を売ったんですワタクシ。


長野県駒ヶ根市と言う地理的な問題で、当時プロ野球の応援はほぼ気まぐれ的選択で、オーソドックスに巨人、距離的に一番近い中日が大半を占め、国道沿いにあった西友は当時の黄金時代の西武グループであったため、優勝するとセールでボクもライオンズのヘルメットを買ってもらい、何となく西武が好き。でも気まぐれでカープやファイターズの帽子を被っては失くしの繰り返しの遊牧民状態。


そんなある日相模原で働くボクの敬愛する叔父が帰省した時、遊牧民だったボクを手招きし、こうつぶやいたんです。


「一緒に大洋を応援しよう。そしたらスポーツバッグ買ってあげる」


長野の田舎でファンがいるとは聞いたことない缶詰会社のクジラのチーム。1人でも多く味方を見つけようと、捻りだした作戦がスポーツバッグ贈賄。確か小学校3年生だったボクはその瞬間、バッグの魅力に囚われ、心を物品に売ったった。

二つ返事で「いいよ」とこれで契約成立。数日後に手元に届いた赤のバッグを受け取ってこれで収賄も成立。


今や最下位に転落した現DeNAベイスターズを、ここまで応援する事となったきっかけは、たった1個のなぜか真っ赤のスポーツバッグ。初めてタイゴンと書かれた某メーカーの靴を買ってもらい、どこぞのコンテナカゴで売ってる靴から卒業した時と同じ興奮。なんせ憧れ「めーかーひん」


結果、あのバッグ1個でその先負けに負け続けるヨコハマを追いかけて早30年。収賄の罪はデカかった。

何度腹を立て苦しみ続ければ良いことか・・・。それでも負け続ける愛すべきヨコハマ。

先日叔父にこの話を話したら、覚えていねーでやんの。


ホークスファンはあれだけ勝ててさぞかし楽しいだろうなぁと思いつつ、今抱えるストレスの9割がベイスターズの動向と言うある意味幸せなボクでした。


強くなるために

中学、高校などの部活動がこの時期活発化し、なかなか忙しい日々を送っております。

中学生の頃から、身体を見させてもらっていたあの子がもう高校の部活を引退かぁ・・・などと時間の経過の早さに恐ろしさを感じているところです。

 

本当に時間と言うものはアッと言う間に過ぎていくものです。

 

中学や高校などは、一部の部活動を除いて、入学から3年生の夏前後までが一般的ですから、正味2年半弱しか期間がない訳でして、決して1日たりとも無駄には出来ないのです。

 

 

その中で重要なのが、いかに短期間(効率的に)で強くなる事が出来るか。ですよね。強くなると言う意味は精神的、肉体的な面はもちろんですが、結果「勝てる様になるか」です。

 

ボクが実際中学から高校に進学し、高校野球を始めて最初に感じた「壁」はスピードでした。

目が速さについていかない。

13歳から15歳のスピードから、いきなり先輩達16歳から18歳のスピードに変わる訳ですから至極当然ではあります。この年代はクラスマッチをやれば必ず最上級学年が優勝するように年齢による格差は圧倒的です。

ピッチャーの投球、打球の速さ、試合自体の進行、すべてが速い。

玉拾いに明け暮れた時期は「こんな野球ボクに出来るのだろうか」と不安になったものです。

 

おそらく、野球に限らず全ての競技で新入生が真っ先に戸惑うのは「スピード」だと思います。

これはボクの中では確信を得ています。

 

 

かと言って、いつまでもそのスピードの壁に戸惑うかと言うと、一緒にやっているうちに、そのスピードにも慣れ1年生の夏休みの新チームの頃には全く普通にプレーが出来ているのです。

 

で、ここで問題解決と思いきや、実質慣れたそのスピードと言うものは、自分が所属したチームのスピードに慣れるだけであって、その他のさらに速いスピードでプレーするチームに対応出来る訳ではないというところが出てくる訳なのです。高校野球のスピードの慣れた訳ではなく、母校の野球のスピードに慣れただけだったのです。

 

ですから、強豪チームのピッチャーを見るとそこはそこで「やっぱ速ぇなぁ」と感じてしまいます。

そこで勝負は終わりです。

 

しかし不思議なことに、仮にしばらくその強豪チームに混じって練習しているとそのスピードが自然と感じる様になり打てる様にもなってきてしまうのです。

ですから好投手がいるチームは自ずと打線も強力になっていくケースが多いです。そりゃ好投手のボールを毎日見ていれば、他の投手のボールなんて打てる気がしますもんね。

 

 

でここで、ボクの勝手な提案として思いつくのが、

一般成人のチームの中に、中学生のチームを放り込んで定期的に練習や試合を行わせるというものです。

 

この時代、成人チームも若い世代の選手がなかなか加入せず、人手不足により、練習もままならず、更には解散などというケースもよく耳にします。そこに中学生を合体すれば、合同練習と言うことで人員が確保でき、中学生は大人のスピード、パワーを目の当たりにすると言う一石二鳥といったメリットを出すことが出来るわけです。合同練習などは時折行われますが、これにきちんと継続性を持たせる事が重要です。

 

 

力関係なんて問題ではなく、中学生は大人に圧倒されれば良いのです。

そもそも大人は狡猾です。なにしろ経験がある故のプレーができます。

 

そこでとにかく喰らいつき、悔しさ、無力さを感じ考えれば良いのです。でも続けていけばいつか必ず「あれ?慣れてきた」と思える瞬間が来るはずです。とにかく定期的に継続させる事が重要です。大人とのプレーに慣れてしまえば、今度は強豪とは言え同じ中学生のチームなら、全然ひよっこに見えても来るでしょう。こんな効率的な方法はなくないですか?

強いチームみ勝つには、それよりもっと強い環境に揉まれるのが一番です。

 

ボクが中学生の指導者であれば、まず一緒に定期的に相手をしてくれる成人チームを探します。ある意味ユースチーム化ですよね。いづれ卒業生がその成人チームに入るように流れが出来れば良いのですから。


高校野球の選手はぜひ、トップレベルの軟式野球の試合を観てもらいたいものです。

1点を取ることの大変さ、1点を守ることの重要さを身に染みるほど感じて欲しいです。

この1点は捨てても良いからなどと言うのは硬式野球だけの発想で、ましてや学生自分にやるべき野球スタイルとしては悲しい事です。トップの軟式では有り得ないスタイルです。これは硬式の選手でも学ぶべきものがあります。

 

こういった年齢層を超えた交流が、その地域全体の競技レベルの底上げになる根本ではないかと思う次第であり、野球でいうプロとアマの垣根の様に、もしチームの所属する連盟、協会の違い、保護者同士による問題等で交流を妨げる様な意見が出て、実際に禁止するような話になれば、その地域のスポーツ発展も終わりと言うものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間低燃費化問題

時代の進化によって、電気とガソリンの2系統からエネルギー供給が可能となったハイブリッド自動車は燃費性能が飛躍的に向上し、化石燃料の消費量の抑制、個人レベルではガソリン代の節約など、ガソリンのみの時代からはほぼマイナス面の見当たらない恩恵をもたらしてくれる魔法のアイテムです。

 

いかに燃料の消費を抑えながら走行距離を伸ばすか。

各自動車メーカーがしのぎを削るところです。

 

車と同じくして、いやそれ以上に人間の身体というものは生まれながらにしてスペシャルなハイブリッド機能が備わっています。例えば糖質の代謝を行いエネルギーを作り出す手段として、

 

・解糖系・・・消化によってグルコース、グリコーゲンとして吸収された糖質をピルビン酸または乳酸に還元す       る経路。

・TCA回路・・・解糖系で生じたピルビン酸がアセチルCoAになりさらに分解される回路。このTCA回路には、

       脂肪酸、アミノ酸燃焼も最後には合流します。

・電子伝達系・・・解糖、TCAで切り離された電子が、最後に酸素と結合し水になります。この過程で大量に、

       エネルギー源のATPを産みだします。

 

なんのこっちゃです。

でも皆さんの身体の中では、皆さんが指示しなくても勝手にエネルギーを生み出すために、文章にするとこんなややこしい事をやってくれているわけです。(これでもだいぶ端折っています)

毎日おいしく口にしている糖質【炭水化物】はこの様にエネルギーを生み出す元として働く訳なんですが、この他にもタンパク質、脂質からもそれぞれエネルギーを作り出すシステムがあって、最後はすべて混ざって人間の活動を支えているのです。自動車工学の専門家が何年もかけて作る複雑な動力源を、人間は自ら持ち合わせているんですね。すごい。

 

ところが、ハイブリッド=省エネがもてはやされるのは自動車のほうで、人間の身体の事に関しては飢餓時代ならともかく、この飽食の時代に省エネになっては困るわけです。

身体燃焼が省エネなのに、エネルギー源の補給だけは止まらない。身体は満タンのタンクローリーの様に巨大化していくのに、軽自動車並みのエンジンで、しかも低燃費。うははっ!!!

 

「あれっから40年っ!!!」 ゲラゲラ ゲラゲラ 

 

きみまろさん聞いて笑っている場合ではありません。

年々ある意味進化し、省エネで生きていくことを身に付けた人間は誰しも年を重ねるごとに、自動車とは真逆な機能低下に陥ってしまう訳です。

 

 燃費の悪い身体にしないと。

楽をしてタンクローリーが小さくなる訳ないです。


とにかくまずは、日ごろの活動でどれだけエネルギーを消費し、食事で補給しているかそこをおおまかに把握することですよね。


「あたし毎晩30分歩いてるわよ。ウフフ。やるでしょ」っても

調べてみれば、消費は100kcal前後。たったそれだけ!←皆さん案外ここを知らないから、30分のウォーキングでスゲー運動やった感を持ってしまうんですね。で帰ってきてビールで逆転ホームラン。

運動って意外と消費させるのは難しいものです。

これじゃ意味がないです。(ない訳ではないですが、痩せると言う事に関しては)


だったらビール減らしたほうが、効果的で楽じゃありませんか?

30分速足で歩くより、ビール1本減らしたほうが、カロリー減の効果ははるかに大きいのです。

どっち取ります?




 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・らしい。

すっかり月1程の更新になってしまいました。

ちょっと忙しくもあったこの頃です。


狭い世間の中に生きていると、どこにいても

「・・・の○○さん、~~らしいわよ。」

なーんて話は湧いてくるものです。


週刊誌でもなんでもそうなのですが、冷静になって振り返ってみると、「そんな訳ないじゃないか」「どっちでもいい話だ。」「本人同士の事だ」と思えるのですが、いきなりその場で自分が聞き手側の立場で話しを聞くと、「えーそうなのう?」と興味がそそられてしまうものです。

その内容が、事件色が強かったり、スキャンダラスな事になればより一層聞き耳を立ててしまうのが人間の性と言うものでしょうか。


聞くだけならまだ良しとして、今度はその仕入れたネタを他の人にも知らせてあげようと、要りもしない親切心を発揮して、周囲の人に話し出すとさぁ大変。

「伝言ゲーム」なんて遊びが成立するほど、人から人へ話を伝えるという事は曖昧なもので、2、3人も伝われば話のどっかはもう違ってる。


そう思いながら考えてみても、情報社会で簡単に情報が得られるようにはなったけど、その情報のほぼすべてが「又聞き」で得ている情報なんですよね。世の中のどっかで起きた事をどっかの誰かが拾って書いて情報を送っている。僕の手元に届いた物は、最初の原型とどれくらいリンクしているかもはや分かりません。書き手の感情もあるでしょうしね。


確信を持てる情報というのは、実際の現場に居合わせた当事者本人でない限り、100%保証を付けて正しいとは受け取ってはいけないなぁと感じています。

情報を疑いだせばきりがないのですが、100%の確証を得るにはやはり、当事者になるしかないのです。


「勉強、勉強」と張り切って書物を読み賢くなったつもりでも、その書物に書かれた知識というのは、著者または研究者が得た認識、確証であって、いったん当事者から離れてしまえば「・・・らしい。」と言う情報になってしまいます。


誰かが書いた「研究の結果、○○筋のストレッチは~~の効果をもたらす」と書かれている文章を読んだだけの事でイコール「私はこんな知識を知っている。頭がイイ」ではないのですね。だって自分がその効果を実感したことないんですから、仮に科学的な効果が証明されていても、それが本当かどうかはまだ自分では分かっていない訳です。


ホント、へそ曲がりな意見のようですが、私が専門とする人体に関わる知識については、とかく日和見の様なところがあり、昨日まで正解だった事が、翌日には否定されているなんてのがザラにあるのです。


「~~オイルを塗ると、デトックス効果があるんですよ~。」なんでテレビを観ていると、アヒアヒしちゃいます。オイルのラベルにそう書いてあればそう言うでしょうけど、実際あなたはデトックス感じたの?そもそもデトックスってなに?ってみたいな。


ですから専門家の中でも、真っ向意見が食い違う事もありますし、「自分、こんなに知識あります」と大っぴらなアピールをする方もいらっしゃいます。ではその知識が、世の中全員にマッチするとも限らない訳です。

知識はある事は悪い事とは思いませんが、上辺だけの知識ではなく、やはり自身で確証を持つまで深めなければ本質は分かり切れないなぁと感じております。


結局もって現場の声が一番の確証的な情報ですよね。

そう言いつつボクも、実際自分が行って実感出来た事をお客様には勧めるようにはしていますが、「・・・らしい。」で身に着けた知識を使っている事も多分にあります。ミーハーなんで最先端技術とか、「○○に効果あり」とうたっているものにもすっごい興味ありますし・・・


「・・・らしい。」には気をつけなくてはいけませんです。

知らぬが仏、知っても?

すっかり更新が滞りました・・・。

ぼんやりと生活していると、ブログにアップするネタもなくなってくるものです(汗)


春の気配も感じられるようになった時期、雪ももう心配しなくて大丈夫でしょうかねぇ。

で、「雪」で思い出したお話。


日中何気なく運転しながらラジオを聞いていると、

「ゲレンデ情報~っ!」とはじまり、


「〇〇高原 200センチ、 〇○スノーパーク 180センチ ・・・」

と滑舌の良い声で県内の主要ゲレンデ数十か所の積雪量をひたすらに読み上げるのです。


もうお経の様に聞こえてくる位の一定リズム。


今に始まったコーナーではないので、度々聞く機会はあったのですが、普段だともうBGM的に聞いているけど聞いてない状態。ほとんど記憶に残らず時間だけが過ぎる瞬間。

今日はなんとなく意識的に耳に入れて聞いてみて、初めて気づきました!!!。


この〇○高原の「200センチ」と言う積雪の実測数を聞かされた所で、それをどう活用すればいいのっ!


スキーヤー目線で聞いても、200センチでも30センチでもその日の雪のコンディションが良くて、滑走出来れば変わりがないのであります。

スキー場が雪がなくなり滑走不能になるまで延々と営業してくれるのであれば、その実測数も活きるのですが、決まった日でクローズになるのであれば、最後の営業日まで実測数を聞かされても、全く不要な数字になるのでありますよね。


新聞にもスポーツ欄の隅っこに掲載されていますが、数十年前から掲載内容は全く変わりなし・・・


人間「知らぬが仏」と言う言葉通り、知らなければ平和に過ぎていくのに、知ってしまったが為に余計な悩みが増える事が多いのですが、知っても「?」になる情報もあるというのに気付いたと言うホントにくだらないお話です・・・。




眼は口ほどに物は言わない。

人々はあらゆる物事、対人、環境などに不満を持ちますが、その不満の大半は「こちらの考えを理解してもらえない。」とか、「話が違う」などと言ったコミュニケーションの破たんから生ずる他人との考え方の相違によって発生します。


そして、今までの経験の中で一番多く聞いてきた不満と言えば、

「●●さんって、なんで気づかないの?」

「今どきの新入社員は、あんなことやってた。信じられないよ。普通わかるよね」

「この位の事普通分かってると思ったら、全然分かってないの」


と言ったような、

「このくらいまでの情報を与えれば、その先は言わなくても分かるであろう」

「こちらの要求は、普通に考えれば言わなくても理解してくれるであろう」

「一般常識的に考えれば、わざわざ指摘しなくても普通は気づくものであろう」


のような、【であろう】の期待に反する事が起きると、大半の人は不満が爆発します。



集団に属していると必ずと言ってよい程発生する事なので、皆さんも思い当たる節はあると思います。

中には、敢えて少ない情報しか与えず、こちらが望むポイントに相手が気づくかどうか試すと言うような場面も少なからずあったりもします。


元々期待していない相手が、ある意味期待通りこちらの要求に応えられないと「ほら見ろ、あいつじゃやっぱりダメだった。」と優越感に浸って快感を得るイジワルな人もいる訳です。


そのような経験を繰り返す中で分かった事は、人間は言葉として考えを伝えなければやっぱり分からないと言う事です。


そんなこと当たり前だと言う事も、こんなことまで言う必要があるの?という事でもまずは言葉で伝える必要はあると思います。人間は思っている以上に立場の違いで他人の考えを察する能力は低下してしまうものだと感じます。


ボクも仕事柄、お客様から調子の悪いポイントが身体を「触っただけで見抜けるのであろう」と言う期待感に晒されます。がこの場で断言しておきます。

「他人の感じる感覚を、触っただけで全ては見抜けません!((+_+))」


んなもん分からんものは分からん・・・。絶対右の方が凝り固まっているのにお客様は左が辛いなんてのはザラです。急に乱暴な言いぐさです。でもそんなの分からんのが人体の神秘なのですよ。

逆に分かった様な顔をしている方がよっぽど危なっかしいインチキです。


先日、整体の仕事を始めて間もない方から、「どこが痛むのかが分からないんです」と相談を受けた訳で、結局そこには、「身体の状態を見抜く事が出来てスゴイ!」と思われたい願望からそんな質問が出たのだと思いましたので「分からんものは分からん。ちゃんと聞きましょ」と言っておきました。



とは言え、自分の思っている事を全部伝える訳にもいかない。または言える環境にないから我慢している事も大いにある訳で(対上司、対指導者などほとんどが目上の方に対する)、全て要求側も問題ではなく、聞き入れる側の、他人の考えを聞くセンスが問われるものです。

自分の考えに反する意見を部下に提案されたらどう受け止めるか、それ以前に、立場が下の者が意見できる環境が作れているのか、己の考え方だけに固執して他者に押し付けてはいないかなど、見直すポイントはたくさんあります。


この様な環境を整えないくせに、自分の思ったように動かない部下や選手の評価を下げると言うような行為があるとするならば、それは独裁者と同じ思考ですよね。

みなさん心を広く持って受け止め、しっかりと伝えましょうね。


とブログを打ちながら己の行動を反省し、もっと家族にやさしくしようと思います・・・。

「お前がな」と言われないように^_^;

話が違うじゃねぇかぁ

すっかりお正月気分も過ぎ、2015年も始まりました。

今年もよろしくお願い致します。


時間の流れの速さを新年を迎えるたびに感じるのですが、短い1年短い1日の中でも、世の中の動きがどんどん変わって行きます。昨日の正義が今日は悪なんて位の勢いで。


人間の身体に関する知識も、少し時代が過ぎればまるっきり180°違う事が正しいと言われてしまう事柄もあるので、常にアンテナを張っていないとすぐに置いて行かれます。

皆さんがよくご存じなのが、水分補給ですね。

数十年前は水分を摂ると怠くなるから飲むな。と言うものが今では積極的に補給するべし。ってやつ。


水分補給に関しては、精神論や根拠もないしごき的な部分もあるので、一概に人間科学の誤りではないのでしょうけど、近年は数年前までこれが常識と言えた科学でさえも、いやいやそう言うもんでもないぜって話が至る所から出てきます。


必死こいて学んだ方からしても、それをアドバイスされた側にしても

「えっ、違うの?話が違うじゃねぇかぁ」

ってことなんです。


あれだけ当たり前として推進されてきたケガしたてホヤホヤ急性期のアイシングでさえ、今では「冷やさない方が良い」と言う意見まで出てきています。


マジか?と言う思いもするのですが、「炎症」と言う概念を考えてみれば、身体が通常でない状態に陥った場合から回復に向けて最初に引き起こされる反応であって、防御反応と言われればその通り。いわば身体が回復しよう。守ろうとしている活動により引き起こされる外観的症状の総称。

だからその守ろうとしている症状を冷やす事によって抑えるのはどーなのよ?アイシングするのは良くないんじゃないの?ってことなんです。


んー。んー。んー。まぁ確かに言わんとしてる事は分からんでもない。

発熱は細菌やウィルスと戦っている証拠だから無理な解熱はしない方が良いと言う意見と本質的には一緒の考えですな。


じゃぁ、炎症が守ろうと言う反応なら、その炎症が更に拡がる様に助長してやれば守るパワーが強くなって回復が早くなるんですか?っちゅう事になりますね。そうなると途端にこの考えにはクエスチョンが付き始めます。


パンパンに腫れ上がった個所をガンガン温めて、ゴイゴイ動かして「炎症よ拡がれーっ!」って誰か犠牲になってやってみて感想を教えて下さい。考えただけで地獄です。

仮にアイシングNG論の方が回復が早いとしても、激痛を伴い結果的に体力と精神が疲弊します。

これはボク的に回復とは言いません。


現場の判断とすればボクは今でも迷わず「アイシング」を選択します。

付け加えて、故障個所以外の周辺部には加温するのがベストでしょうかね。



と言った具合に、世の中何が正しくて、間違っているかの答えがハッキリしない事例はいくらでもあるでしょう。そういった中迫られる決断の際、何を優先させるかはハッキリ言って「今までの経験と現場の声」しかないと思います。

自分の経験の中で、こっちの方が経過が良かったと思う方を選択するべきだと思います。


参考書片手に「へぇ。最近は冷やさない方が良いらしい。じゃぁ冷やすのを止めておこうか」ってのは違うんじゃないかなと思うのです。

新手の知識や情報を利用してよいのは、過去の経験を凌駕するほどの結果をもたらすと言う確固たるエビデンス(証拠となる理論)を得てからだと思います。

そういう基準を設けておかないと本当にどうしたらよいのか分からなくなります。


現代は情報の渦に巻かれるおっかない時代なのです。


なので、ボクは「直感」てやつを100%信用しております。


「直感」ていうのは、【今までの経験により得られたデータによりはじき出された瞬間的な答え】。だと勝手に解釈しているので、ほとんどその直感は正解であるだろうと思っているのです。

実際もほとんどが正解に近い答えを選択出来ていると思います。

「インディバ・アクティブ」導入なんてのは100%直感でしかありません。直感が「これだ!行け!」って言うんでそれにしたがってみただけです。


なので、その「直感」が外れた場合、これはもうしょうがないと諦めるしかありません。サッパリと。

選択をするとき、自分が外れた答えを導き出す位の経験やデータしか持ち合わせてなかった。要は未熟だったと反省するしかないのですね。


ボクの場合、悩んで出ない結論は「直感」です。当てずっぽうじゃなく。

あとはお客様から「話が違うじゃねぇかぁ」と言われないよう日々精進です。

想い出のF1

 リジェ ブラバム ミナルディ オニキス

ザクスピード AGS ローラ フォンドメタル

コローニ ユーロブルン リアル ライフ

 

これを聞いてピンと来た方はかなりのオタクです。

 

80年代後半から90年初頭にかけてF1に参戦して儚くも散って行った、弱小チームの名前です。

 

ボクは1988年からF1を恐らく1戦も欠かさずに観ているF1好きでありまして、当時同じ苗字であった「中嶋悟」選手をひたすらに応援していたものです。アルファベット表記で「S.NAKAJIMA」と国際映像で出る訳で、全くボクと同じ表記だったため、あたかも自分がレースをしているかのような妄想にふけておりました。


写真は1989最終戦で4位に入った中嶋選手(ロータスジャッド)。雨の中非力なジャッドエンジンのマシンでファステストラップ(レース中最速ラップタイム)をたたき出しながら、ウィリアムズルノーのパトレーゼを追い掛け回した最高のレース。今でも当時のフジ大川アナが興奮してしまうのを宥める今宮さんのやりとりが忘れられません。

 

本当に楽しかった。書いているだけでワクワクしてきます。

 

当時は、未だ健在のマクラーレン、フェラーリ ウィリアムズ、ロータスのターボワークス勢に加え、ベネトン、レイトンハウスのNA(ノンターボ)勢の争いであったのですが、横浜ベイを愛する様に弱いチームを応援したくなる性分のボクにとっては、先述の弱小チーム勢のいわゆるケツッペタのデットヒートがたまらなく好きだったわけです。

 

1990年にはバブル崩壊直前のジャパンマネーの進出も積極的で、弱小コローニに「スバル」の水平対向型12気筒エンジンが、ザクスピードにはなんと「ヤマハ」V型8気筒エンジンが搭載され世間の注目を浴びました。(両社のエンジンもチームのマシン自体も見事な失敗作でシーズン途中で撤退)

今ではスバルやヤマハがF1のエンジンを供給なんて地球がひっくり返ってもあり得ない。

 

そんな状況が普通にあり得たから、本当に面白かった。

 

 

あーそれが今や。そこそこレースしていて大金を持っていればF1に載れてしまい、そのお金が尽きれば捨てられる。レースもドライバーの力量よりいかにタイヤを持たせるかが重要(要はタイヤを痛めない大人しい走りが理想)。ドライバーの方々には失礼ながらもはやこの感覚はレースにあらず。

 

F1にしろなんにしろ、昔を振り返って出てくる言葉が「昔はめっちゃくちゃ♡」

リタイヤしたのはあいつのせいだと、車を降りるなりそいつをぶん殴りに走って行っちゃったり、失格処分を無視して走り続けちゃったり。(マニアには誰だか分かる)

 

 

そう、どこもかしこもめっちゃくちゃ。

どこの世界にも無茶苦茶引っ掻き回すスペシャルなピーポーがいらっしゃって、当時はこれでもかって程に叩かれるんだけど、今になっては「あんな人もいたね」って甘酸っぱいホッコリメモリー。

 

 いや今でもいますけど、めちゃくちゃな人。

 

けどすっかり周りの叩き方におびえて大人しくなってしまってる。

叩きが半端じゃない。ネットパワーを駆使して一般ピーポーがめちゃくちゃ人叩きゲームに参加できる時代ですから、ナッツ1袋で飛行機10数分の遅れを出した、お隣国のある意味めちゃくちゃおねーさんへの叩きも容赦ない。あれは絶対10分の遅れに対する叩きではない。

お客さんが怒ってるならまだしも、そうでなければそこまで怒る事ですかな・・・。

 

 

だいぶ脱線しました。

あーF1面白くならないかなあ。めちゃくちゃ野郎がでてこないかなぁ。DRSとかカーズとかいらん(相手を抜きやすくするマリーカート的アイテム)なんて付けなくていいから、ドライバーの真剣勝負が見たい。あと、貧乏チームが頑張り続けるところが見たい。

 

ちょっと今回は内容うんぬんより、個人の願望のみで書いてしまいました。

根拠を持つ意義

言い方は雑っぽいけど、成績が出てケガをしなければどんな構え方(フォーム)でも良い。そうボクは思う。

全員が全員、教科書通りの形である必要もない。一人一人の身体条件、思考回路は違うから、教科書の形=やりやすい。にはならない。

 

まして、指導者の考えでチーム全員強制的にフォームを統一させるなんて論外だ。(実際に行われていた話を聞いた)指導者の役割はチーム全体を1つのあるべき方向に導く場合と、個人個人をそれぞれのあるべき方向に導くのと2種類があると思うけど、フォームを強制的に全員統一させるなんてのは、個人への指導を省略させた怠慢だと感じた。こんなんでスポーツやって楽しい訳がない。

 



物事の上達は「パクリ」にある。いかに上手な人の技術をパクるか。要はモノマネである。

 

ボクは現役時代あらゆるプロ野球選手のバッティングフォームのモノマネを取り入れ、実際に取り入れてきた。よく他人のモノマネをやって褒められる。


これは高校時代から社会人時代まで変わらず、毎年のようにフォームを変えた。と言っても、ここがボクの適当なところで、フォームを変える理由は「特に無い」のである。ただ、この選手のフォームでやってみたい。ただそれだけ。楽しい。

 

帝国通信時代の2年目(2002年)の導入した横浜の谷繁捕手(現中日)のバッティングフォームは大失敗であった。春先からしっくりこないのは分かっていたので、徐々に変更を加えて夏にはロバート・ローズ(横浜→ロッテ)になっていた。もうむちゃくちゃである。

その後はさすがに自分と同じ左打者が良いと石井琢朗選手(横浜→広島)で落ち着いた。

 

もっと遡ると、高校時代は背番号7だったので、吉村選手(元巨人)その後は落合選手(説明不要の3冠王)高校球児が落合選手の打ち方とはもはや救いようのない舐めた取り組みとしか言いようがない。書いていても恥ずかしくなる。

 

考えてみれば、ボクは最終的には石井選手や落合選手の様に、タイミングを取るのにバットを利用するバッティングフォームで知らず知らずのうちに落ち着いていた。

バットをゆーらゆらしておいてのパチン。バットを揺らすバッターは基本的には足を上げない。だからボク個人は、バットを固定して足を上げるフォームだと成績を残せない。

 

 「あぁ、ボクはバットでタイミングを取れば良いんだぁ・・・」

 

それに気づいたのは、引退後の2010年、たまたま帝国通信のOB戦で川崎に行った草野球の1打席目だった。何気なくバットを揺らしながら振ったタイミングがハマり2塁打が出た時だった。

 

 「あ、これだ」

初めての感覚だった。

 

今まで何やっていたんだろう。と思った。

 

結局、ボクはモノマネが重要と言いながら、本当にモノマネをすることで満足し、自分のバッティングの理論を全く持っていなかった。

自分のフォームはこうすることでこういう利点がある。自分はこうしたいからこの形を取り入れていると言う文章を全く持たずに、やってみたいモノマネをして遊んでいただけだった訳である。

 

それが分かった時は現役も引退し、自分が他人を「観る」この仕事に就けたからである。そうでなければ一生気づかなかったかもしれない。

 

 

「がむしゃらに頑張れ」とよく聞くけど、それはあくまで精神的な話であって、頭の中は常に「自分の中の正解」と「正解だと言える根拠」を求め続けていなければならない。「とにかくがむしゃらに1000回素振りしました」では意味がないのだ。

 

成功している人は、己の行動に常に根拠を持ち実践し結果を残す。ただしその根拠にも決して満足せず新たな根拠を探している。

 

今の学生たちに、そこを求めて出来ない事は絶対にない。ただ気づいていないだけだと思う、指導されたことを健気にひたすら続ける事。それは悪い事ではないけどベストではない。指導者の力のみでベストを導き出す事は絶対に出来ない。なぜならそれは教える内容が指導者にとってのベストであって、学生個人のべストと当てはまるとは限らないから。

 

そもそも「指導」の本質とは、技術や精神論を伝える事ではなく、学生が力を最大限発揮出来るために必要な「自分の正解とその根拠」を見つけ出す為の案内役ではないだろうか。

 

いかに上手な人の技術をパクるかではなく、

いかに自分に合った技術を持つ人のスタイルを見つけ出しそれをどうパクるか。

 

「自分で考えろ」「自分で探せ」

まずは、まずはここから。

かぼちゃの行く末 パート2

 以前このブログに「かぼちゃの行く末」として書いた第2弾。   第1弾はこちら

 

 この愛すべき不思議な国日本に、数年来、突如として巻き起こった10月末のかぼちゃの日騒動。以前のブログでは、このまま地味にイマイチな盛り上がりで定着しないのでは的な内容で、かぼちゃのお化けクン達の今後を危惧していたのですが、そんなボクの予想がいかに適当なのかがバレてしまうほどに、先日のニュースではかぼちゃの日の騒動を放映しておりました。

 

 ついに、2/14バレンタインデーの経済効果を上回ったのだそうです。ほぼチョコレート単独より、やれ仮装グッズやら、みんなでパーチーやらで落とされるお金の方が威力があったと言う事ですね。

 

 仮装して街を練り歩く若人たち。TVでご覧になられたかと思います。凄いですね。欽ちゃんの仮装大賞とは訳が違うのでありまして、本人たちは目立ちたいと言うよりかは、「自分と言う個人の存在をいかに消すか」が重要視されている気にもなりました。

 

 

 仮装、された事あります?

 

 

 今、身近な仮装的アイテムが「マスク」

 

 あれ付けていると顔が半分隠れて安心する人が多いんだそうでして。

 いかついサングラスを付けると気が大きくなるのと同じ作用ですね。

 

 

 仮装と言うか「個の存在を消した」経験として、ボク学生時代、親友のにしちゃんに連れられて、とある遊園地で動物のキャラクターの着ぐるみに入るバイトをしたことがございます。

 

 あれ、完全にボク個人の存在がこの世から消え、かわいいライオンくん(トラだったかな)として存在出来る訳で、いつもは寄り付かないチビッ子たちが、わんさかと握手を求めてやって来るんです。

 「こんなんと握手して何が楽しいんじゃい・・・」とは思いつつ、アイドルグループの一員となった様な盛況にチョットしたスター気分を味わう事が出来た貴重な体験でした。

 

 そうなると、人間怖いもので、ちゃんと動物キャラクターになり切ったリアクションポーズやら、両手を口に当ててのウフフのポーズやら、特にこうやれ的な指導も受けていないのに勝手に体が動き出してしまうのです。今思い出してもゾッとするほど気持ちの悪い動きです。でもこれがやってると結構気持ちがいいんです。あの渋谷の若者たちの気持ちもよく分かります。

 

 もちろん着ぐるみと言う防御壁でボク個人が守られているから出来る事です。

 

 で照らし合わせると、人間は(日本人はの方が正しいかも)自分がやってるとバレなければ、非現実

的な行動を取ってみたいと言う、結構ギリな深層心理を持っているわけで、それにちょうどハマる形となったのがこの「ハロウィン」と言うイベントなんですね。

 あ、あともう1点付け加え。いくらバレなくても自分1人じゃ嫌よ。周りもやってくれなきゃっていうこれまたジャポネーゼ条件も必要です。

 

 サッカー代表戦あたりも似てますが、あそこまで行くと周りもみんな青々過ぎて、すでに個は消えてるので仮装の必要はありませんね。

 

 


 話が繋がるか分かりませんが、ある興味深い文を読みました。宗教感の統一性が無い「日本人」と言うものは、他の宗教が掲げるいわゆる「神」という存在・・・

 

 ユダヤ教→ヤーウェ キリスト教→ゴッド イスラム教→アッラー 等

 

 などその宗教においての最高神として唯一無二の存在であるのに対し、古来日本の神道からなる「神」と言うものは八百万(やおよろず)の神と言われるくらい多くの神々が存在し(○○ノミコトとか〇〇ノカミと名のついたもの)「自然の存在を超越した力を持つもの」=みーんな「神」としたユーティリティー多神教民族であるので、神社、お寺、教会、山の頂上、自然現象、なんかスゴイ人まで、なんにでも日常を超越した存在を目の当りにすると厳かな気持ちになって頭を下げ「神」として崇めたくなる柔軟な気持ちを持つ文化が根付いているのが日本人なのだそうです。


 なーるほどね。見渡せば「とーんでもねぇ あたしゃ神様じゃよ」byシムラってほど神様はうじゃうじゃいらっしゃるとの事。

 

 合っているかももはや分かりませんが、キリストさまの誕生日でも、外国の収穫を祝う日でも、「なんかスゴイ神様みたいな人のお祝いの日なんでしょ?受け入れて盛り上がっちゃおうよ」みたいなノリってのも日本人的にはアリなんでしょうかね。

 

 考えてみれば、開国以来、明治維新、第1次2次大戦後を主にあらゆる海外の文化を受け入れる事で発展してきた日本ですから、かぼちゃくんも受け入れてさらに発展していくのでしょうかね。

 でもぉ、渋谷の仮装見てても、そうは感じないのはボクだけでしょうか・・・。

 

 かぼちゃくん 来年もアウェーの地日本で頑張れ。ボクは仮装しないけど。

 

 

 

 

思い出したエルウェー

 天高く馬肥ゆる秋。いろんな秋の表現がありますが、秋は「ギャンブルの秋」でもあります。のっけからブログの題材としては非常に聞こえが悪いのであります。

 

 しかし、ギャンブルの中でも競馬は、秋のG1(レースのグレードの事、G1が最高レベルのレース)が年末の有馬記念までずーっと続く、年で1番盛り上がる季節なのです。仕事のページに競馬のブログを乗っけるしょーもない話ですが、ちょっと読んで下さい。

 

 

 あらかじめ申告しておきますが、私は現在ギャンブラーではありません。現在ってとこがミソです。このお仕事を始めてから、給料ではなく、自力で頂いたお金をギャンブルに投資する気持ちにはなる事が出来ずに、数年間全くギャンブルをしたいと言う気持ちにはなりませんでした。

 

 それが、今月サッカーくじ「toto」をなんとなく購入したのと、TVで競馬中継を観たのを切っ掛けに、「たまにはギャンブルしてみたいなぁ」と言う気持ちになりました。先週の菊花賞で勝ったのが『トーホウジャッカル』と言う栗色の身体に金髪たてがみのイケメンホースで、この馬が実は、東日本大震災のあった夜に産まれた馬としてミラクルストーリーで紹介されていました。

 

 それに合わせて、ボクがちっちゃなミラクルストーリーとして目の当りした、『エルウェーウィン』と言う馬を思い出し、久々にいいなぁギャンブルもと思ってしまったわけです。

 

 

 

 ぼくは、財力も度胸もたいしてないので、永久に勝負師にはなれない人間です。至って楽しむ程度のものです。それでもアホな男のロマンを感じて、かなり夢中になった時期があります。そのロマンには賭け事として以上のなにか動物が発揮する不思議な巡り合わせ(ストーリー的な)を感じるものがよくありました。

 

 

 当時、「ナリタブライアン」に騎乗して、皐月賞、日本ダービー、菊花賞と言うクラッシック3冠を取ったのが南井克己騎手。その南井騎手が、ブライアンで3冠を獲る2年前の朝日杯3歳ステークスと言う人間で言えば高校生のインターハイ決勝みたいなG1レースで、『エルウェーウィン』と言う3番人気の馬に乗り、ビワハヤヒデ(ブライアンのお兄さん)を破って優勝しました。(上写真、手前がエルウェー、奥がハヤヒデ)

 

 その後の活躍が期待されたエルウェーだったのですが、朝日杯の勝利以降、全っっっったく勝てなくなり、南井騎手も数戦乗ったあとは違う騎手が乗って、ファンからの記憶も消えかけながら地道にレースに負け続けていくのです。

 

 そんでもって最後の勝利、朝日杯から3年11か月後。

 

 その日はビワハヤヒデの弟ナリタブライアンも引退を迎え、東京競馬場でも引退式を開くと言うことで、ぼくは友人とその引退式を見に競馬場に向かいました。

 ブライアンには当時主戦騎手だった南井騎手も関西から当日騎乗馬がたいして無いのにも関わらず、わざわざ引退式の為に呼ばれ、その無事引退式も終了。

 

 式も終わったし、気を取り直して競馬競馬っと、メインレースはG2「アルゼンチン共和国杯」 2500mと言う長い距離と、ハンデ戦である事で、一線級馬は絶対に出ない地味な重賞レース。(強い馬はハンデがきつくなるので出ない)

 出てるのです『エルウェーウィン号』18頭立ての14番人気。ここまでの前5走の着順が、7,6,7,5,6着。はい、無しね。

 

 その時、パドックで見たエルウェーウィンの記憶は今でも残っています。小柄な馬で3歳時(現2歳)とてもG1を勝って世代最強の称号を得た馬にはとても見えなかったです。

 

 「あぁ、昔G1勝ったエルウェーでてるぅ」っくらいなもんです。

 

 

 で、レース。なんだかわかんないけど実況が大騒ぎ。

 

 「外からエルウェーウィン!! 外からエルウェーウィン!!」

 

  あれ、道中一番ケツッペタあたりを追走してたはずっだったけど、赤地に青袖に白い星のエルウェーのアメリカチックな勝負服を着た騎手が風車の如く鞭をペッチンペッチン。叩き過ぎ(笑)

 

 

 今まで何やってたんだってくらいのロケット砲炸裂で他全部の馬をぶっこ抜いての勝利。単複連大爆発。エルウェー自身も3年11か月ぶりの大爆発。

 

 「なんでエルウェーが来んの・・・・」

  と、あわてて新聞のエルウェーウィンの記事見たら・・・

 

 

 「鞍上 南井克己」

 

 

 納得。あ、そうだ今日はブライアンの引退式。東京に来たけど、騎乗馬ない南井騎手に、これまた人気もなく騎乗騎手のいなかったエルウェーの3年越しの再開。今更気づいても時既に遅し。

 おバカなトホホのハズレ馬券が秋風に吹かれて消えていく。

 

 

 でも、なぁーんかいいねぇ~。って話です。久々に当時の相棒が戻ってきてエルウェー頑張ったんだねぇ~っていう話です。ハズレちゃったけどいいもん見たねぇ~って話です。

 昔をなんだかTVを見ながら思い出しまして、意味もなく書いてみました。書きながらもまだ当時の記憶でにやけている気持ちの悪いボクです。

 

 

 

 

 

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脱ノーコン

 僕はピッチャーを少年時代からやってきましたが、完全なる「ノーコン」でした。

 それも年々酷くなり、高校時代がその頂点。もはやストライクがまぐれ。祈りながら投げるだけにまでなっていました。


 今考えると、転機はハッキリ覚えています。小学校5年あたりで、前に踏み出した足が着地する前にボールが上を向いているから直せと指導されました。(下の手書き図参照)

 早くボールが上を向くとリリースまでの距離が短くなって勢いが付けられないと言う事でした。逆に着地するまでボールを下に下げておくとリリースまでの距離を多く取れると。


 なぁるほど。確かに。とフォームを直し完成したのが

「腕遅らせスピード重視型フォーム」イエイ!!


 その後成長と共にスピードも上がったので、ますます調子に乗り、剛速球左腕投手は何を勘違いしたか、ブンブンと腕を振りっからかすだけのノーコンピッチャーに変貌していった訳であります。 

 ところが、このフォーム修正については完全に納得した上での事だったので、これ自体にノーコンの原因があるとは全く考えず、ヘッポコフォームのまま、「あーでもねぇ、こーでもねぇ」となにも効果の無い練習をひたすら試行錯誤しながら繰り返し、なにも成果のないまま、チームメイトに迷惑をかけ高校野球を終了する事になるのです・・・。


 

 不思議なもので、いったんその場を離れると物事をきちんと見渡せる様になれるわけで。この仕事を始めてから研究しましたよ。「脱ノーコン論」を。(下に続く)

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ブラック部活動

 ちょっと前まで雇用形態に問題がありそうな会社を「ブラック、ブラック」なんて言ってましたけど、すっかり聞かなくなりましたね。どの企業も改善の姿勢を見せたのでしょうか。

 

 世の中が良い方向に向くことは非常に望ましい事ですが、学生の部活動の世界は、皆さんも経験した相も変わらずなブラックぶりな話を聞く事がいまだに多々あります。

 子供だからそういうものとか安易に考えがちですが、部活動の現状を大人の社会に当てはめてみると結構シビアなもので、同じことを会社がやったら恐らく大問題。

 

 (上司)「私の機嫌が悪いので、明日の休日を取りやめて仕事に来てもらいます」

 

 (上司)「形は休日の日とは言え、私はそういうときの過ごし方を見てますよ。」

 

 などと言われたら、部下はどう思うでしょう。こんな事が部活動ではごく普通に起きています。「私の機嫌が悪い」などとは直接言わないでしょうけど、当初の予定を前日あるいは当日に丸ごとひっくり返し。オフなのに自主練習に来ないと評価を下げると言葉でちらつかせる。

 指導者のご機嫌をうかがいながら祈るように過ごしている学生のなんと多い事か・・・。

 

 学生側にも都合や欲もある。「あぁなんか休んで気分転換したいなぁ」と言う気持ちで大人は休みが取れても、学生にはそんな権利もない。そりゃたまには家族や友達とゆーっくり遊びたいでしょ。

 でも休んでどこかで遊んでいるのを目撃されれば一気に批判の的に。学生もなかなか大変です。

 

 

 で、昔から考えていた提案。

 「部活動の有給休暇制度」

 

 有給って言葉はいらないけど、部員も年〇日間は、届け出を出せば胸を張ってお休みできる制度。

 土日祝日〇〇日分、放課後○○日分の休暇取得の権利。 

 

 ルールとして、休む事には他者は一切批判してはいかんと言う事。大会前〇〇日間の休暇取得は無しよ。という事。大人の有給休暇も消化しきる人も少ないし、あんまりやり過ぎると批判される。けど権利としていざと言う時ありがたい。

 子供たちにも、いざと言うときに堂々と休める「権利」を持たせるだけで、心理的負担はかなり軽減されるのではと思うのです。

 

 さらに、今は休みを取ってもOKなタイミングなのか、ここはまずいのかと言った判断も学べたりしないでしょうか?と思ったのですが、安易ですかね?

 

 

 とは言え、1週間のスケジュール、もっと言えば今日1日のスケジュールの終わりが何時なのかも分からないまま練習を行われる事は決してプラスにはなりません。

 明日の終了は何時と決めてきっちり終わらせる。送迎の親御さんの負担も減ります。迎えに行って2時間待たされたとのお話も聞きました。

 

 いかがでしょうか?ご家族の皆さん。指導者の皆さん。

 

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謝罪の分かれ道

 先日ある出来事に遭遇し、「人に謝る」というときのタイミングについて考えさせられました。


 ちょうど、あるジャーナリストの方が、謝罪を行った某新聞社に対し発した「遅きに失した」と言う言葉が、「謝る」と言う行動に対する注意点をそのままを表しているのに気が付きました。


 その出来事とは・・・


 ぼくはあるラーメン店で、ごく普通のしょうゆラーメンを頼み、奥さんは辛ネギがのったミソラーメンを頼みました。いつも同じものを頼むので、メニューも見ずに注文。味もぼくのバカ舌でも何度も食べて覚えています。

 

 その時調理人は、ホールの女の子とずーっと楽しそうにおしゃべりしながら作っていたのが正直気にはなっていたんです。


 で、出てきたラーメンがと言うと・・・。


 明らかにぼくのしょうゆラーメンに一回辛ネギをのせて、間違いに気づき取り除いた形跡があったんですよね。スープも赤いし、中にはまだなかなかの数のネギが残ったまま。

 味もへんてこりん。いや、酷い味。いつも食べてますからすぐに気づきます。


 そこで、ぼくはその調理人の人に「ねぇ、これ一回辛ネギ入れてるよねぇ?」と聞いたんですね。

 この段階で沸点はまだ20%。さすがに「仏のさくちゃん」


 で、調理人。やっちまいました。


 「あ、間違えてのせちゃってぇ。作り直しますかぁ?」


 ですって。オホホホホ。沸点測定不能。


 「いや、いいです。」とやんわりお断り。

 「作り直しますかぁ?」の一言に、もう食べる気を完全に消失。


 もったいないですが、とても食べられる味でもなければ気分でもなくなって、即座にご退店。

 その時事の重大さに気づいた調理人の方もようやく女の子とのおしゃべりを止めて、謝罪になったのですが・・・。この段階で謝られてももう席には戻れないし、ぼくだって気まずいからどうにもならないんです。


 間違いはだれでも起こすから、ネギをのせちゃった事は全然仕方ないのでいいんですが、

 「イイやこれで出しちゃえ。どうせ分かんないし」って出しちゃった事と、指摘されてから、「バレました?じゃぁ作り直しますぅ」ってポイントでぼくのダムは敢え無く決壊。


 後で冷静に考えたら、出す前に「すいません、間違えて作っちゃったんで、もう一度作り直しますのでお時間下さい。」だったら何の問題も起きなかったんだろうなぁと、ぼく自身考えました。


 結局、謝られる側の許容量は、時間軸と共に細くなっていく。

 大事なのが「気づいた時点で、全て正直に全力で謝る。」と言う事なのだと学びましたよ。


 

 記憶も遠い過去に、とりあえず謝っとけって「ゴメンね。テヘヘッ。」ってすぐに謝っても通用しなかった理由はまた別問題として後日考える事と致しましょう。 

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一度外に出てごらん。

 プロ野球のペナントレースが佳境をむかえ、野球ネタが多くなってしまい恐縮なのですが、日頃TVを眺めながら想うのが、プロ野球選手だからと言って、全てが一般人より野球の本質を理解している訳ではないのだなと言う事です。正直言って、この辺で軟式野球やっている方々の方が本質を理解していらっしゃる・・・。

 

 あえて「軟式野球」と付け加えましたが、ここがポイントで、先日話題となった延長50回の高校生の軟式野球みたく、軟式はとにかく点も入らなければヒットも出ないのが当たり前。ノーヒットノーランも結構ザラにある事です。ですから、真剣な軟式野球に足を踏み入れると、1点を取る事の大変さと重要さが嫌と言うほど学べるのです。

 

 硬式野球と軟式野球は、完全に別種目の域ですが、同じ野球選手がやる事には変わりがなく、今回僕の提案は、1点の失点の重みを知るなら「軟式野球をやろう」というものです。

 

 あるプロの試合。2番打者の今日の成績「内野フライ、外野フライ」と来ておいての3打席目、スコアは6回裏0-0。3ボール1ストライクから打って結果ショートフライ。

 これ、どう思います?


 2番に入って、何をしたかったのかが全く分からない結果ですよね。普通にプロである話です。軟式なら、とにかくフォアボールを取るためにファールを打ち続ける努力をします。この場面で長打なんていらない。とにかく塁に出て、中軸に回す。それが彼のミッションのはずです。

 

 この2番打者は大学時代は主軸で活躍し、大型内野手として長打も打てますよ。と期待され試合に出ているのですが、大学時代の期待まんまの感覚でバット持ってる。本人は「違う」と言うでしょうが、結果がそう思われても仕方がない内容です。

 

 でも硬式野球だけやってると、こう言う感覚になっても仕方がない面もあります。3点4点差なら、2アウトでもランナー溜めてからドッカーンで追いつける可能性がある。

 ところが軟式野球なら3点差なら試合はほぼ終了。ランナーが3塁にいても2アウトなら、その回はまず点は入りません。なんせヒットが元々出ないから(笑)

 

 だから、軟式野球では「1アウト3塁の状況を作るれか」が全てです。そこでランナーをホームにスタートさせて、内野ゴロをポッコンと叩いて1点。これで1-0の勝ち。

 こんなスポーツです。ソフトボールも似たもの同士。

 

 ボクも軟式を本格的に始めた頃、硬式の感覚で臨んでえらい目に遭いました。野球が分かってねぇと散々に言われたものです。実際、元甲子園球児が意気揚々と軟式野球を始めても、しばらく役には立ちません。

 

 1点を取る為には、3つのアウトを取られる前に、4辺の塁を進む時間が必要です。この時間をいかに作り出すかを学ぶ事が野球の本質を知るのに一番大事な事だと、身を持って体感しました。

 

 プロの選手も、高校球児も軟式をバカにしないで一回真剣にトップレベルの「軟式野球」を観戦されると良いです。パッカーンと遠くに打って点が入る事がいかに楽な事か。1点取られる事がどれだけ大変な事か。取り返す事がもっと大変だと言う「1点の重み」を嫌と言うほど分かりますから。

 学生にはほんとに良い勉強になると思います。

 

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そう思い込めばいい。

 小さな街である。

 

 一応区分け的には「市」であるけど、人口3万そこそこ。全国にはここよりも大きな「町」だってあるだろう。


 この街を高速道路と国道が貫き、通過しようと思えば10分とかからず抜けれてしまう。


 本当に狭いコミュニティだから、「あそこの○○さんは、あーだった。」なんて話はアッと言う間に拡がる。悪い事は出来ない。先日うちのすぐ隣で起きた火災の原因を、翌日にはボクの周りで知らない人はいなかった。


 そんな小さな街で生きるのに、みんなの移動手段はもっぱら自動車。みんな忙しい。伊那谷だけあって東西の移動は坂も多い。


 でも、市街地の中ならそうでもない。多少傾斜はあるけど、ママチャリで移動してみてもアッと言う間にほぼすべての主要施設は回れる。車で所要時間が5分だったところが10分に伸びるだけ。

 学生の頃の二子玉川から瀬田に上る坂の方がよっぽど激坂だった。だし、ここに住む学生達はもちろん黙って自転車に乗ったり歩いてる。


 便利な物を知ると、以前のアイテムを使えなくなる。(最近入手したタブレット最高)

 学生は「車」と言うアイテムを自分で扱う便利さを知らないから自転車に乗る。自転車がマストアイテムだから。で、免許を取ると自転車はポイ。当然の流れ。


 流れに反して大人も街を自転車で走ってみれば、田舎でも意外と大した苦労は無い。あれ?ってくらい。かえって気持ちが良かったり、ゆっくりした気持ちになれる。


 運動不足を気にするお客様とよくこの話題になるんだけど、

 「もしここが東京だったら同じ距離でも歩くでしょ?車なんて無いんだから。」って。

 時々都会に行くと、恐らく自分でも引く位歩いている。こっちなら確実に車で移動する距離を。結局のところ場所が違えば歩けるのだ。それしか手段が無い場所に行けば。

 

 だからここは「東京」なんだと思い込めばいい。

 したら、自力で移動するしかないんだから。


 「不便な街だから」とかって言いながら近距離をブンブン車で走る発想から変えてみたい。

 せめて休日だけは買い物は歩く、自転車にするとか、決め事にしてしまってすぐそこのコンビニに行くのにキーを捻ってブブブブンて回数を減らしていきたい。ちょっとの事でもその発想が身体を喜ばせる。

 


 

 

 



 

超越した人

 「超越した人」=理論や常識をきちんと理解したうえで、更にその先の世界に行っちゃった人

                                  (by サクペディア)

 

 毎月1回発行される自転車の専門誌を買いにママチャリをキコキコ。

 どれどれと楽しみに開いてみるのだけれど、未だに内容の半分以上は意味が分からない。パーツの名前聞いてもそれがどこのどのパーツかも分からん物もあれば、最初からアルファベットの頭文字で略されて表記されている専門用語も出てくる。(このくらい分かっているレベルの人が読んでいるだろうの感じがあまり好きでない)

 

 こういう物を読みながらとか、実際の専門家の方たち、レベルの高い方たちと交流することでいずれ理解出来る事であるけど、それらの事についてちょっと気づいた事がある。

 

 自転車もだけれど、あらゆる専門的なスポーツ雑誌を読むと、かなりのレベルまで到達された方々があらゆる角度から自身の考えやアドバイスを提示されている。

 基本をベースに話を進める場合と、実戦レベルをべースの場合。それと完全に個人の経験、考え方から進める場合。事細かに膨大な情報である。

 ここまでの専門知識と実力があったら何をやってもさぞかし楽しいのでしょうな。と思う。

 

 

 しかし・・・自転車で日本の頂点に立った事のある福島晋一さんが、「クーリングダウン」について、ボクと会話をしていた時こんなこと言っていた。

 

 

 「川に飛び込めばいいんですよ。ボクはその為に飯田に住んでるんですから」

 

 

 氷水で1回10~20分などと提唱しているボクを嘲笑うようなこの一言(笑)

 ボクはその時唖然としてこう思った。

 

 「超越してんなぁ・・・この人・・・。」

 

 

 「アイシング」の方法を問われれば、10分だ20分だなんて実数を説明するし、専門書を見ても多少違いはあれど、似たような方法が説明されている。

 自転車雑誌にも、この自転車の乗り味はこうで、こんな乗り方をされる方に合っていて、こんなパーツがマッチしていて、と。他のスポーツ誌でもそんな感じだし、それを読んで知識を付けたボクらみたいななんちゃってアスリートは、己の情報量とこだわりを「これでもか!」とひけらかし、周りの人間との差別化を図ろうとする。

 

 「スゲーだろ。ボク、こんなところにこだわっちゃってんだぜ。」って。

 

 結局こういった膨大な情報やこだわり(もはや自己満足)は、一般人~ハイレベルのアマまでに向けられるものであり、更にその先の「スペシャルに超越した人」にはどーでも良い話なのである。

 

 実際はどーでも良くはないんだろうし、選手毎セッティングはミリ単位で細かく調整されているそうだから、きっと一般人の何倍も細かな面に気を使っている。でも一旦チームに所属したら、バイクメーカーを選手は選べないから自分に合わないバイクが供給される事だってあるし(現に福島さんもそれは言ってた)、マッサーがケアし続けられる環境でもないのに、体調は翌日までに戻さないといけない時もある。

 

 

 環境が自分に合わせられない時は、自分が瞬時に順応していかなきゃ世界を相手にやってけない。だから、いちいち緻密な事あーでもねーこーでもねーと言ってる場合じゃなくなって、どっかで妥協点を瞬時に探し、答えを見つけながら結果を出していく。

 「氷嚢と氷が無いから、今はアイシング出来ない」なんて言ってるのは甘っちょろい証拠で、「時間がない」「めんどくさい」なんて言ってるのは論外だ。

 

 それをグダグダ言ってねーでそこの川に入っちまえば良いじゃねーか。の一言で片が付くのである。

 

 完全に超越している。

 

 

 あるプロも言っていた  「昔、自分でいろんな事や道具まで、ものすごいこだわりがあったんですけど、それがかえって足かせになってるのに気付いて、ある時に、そう言うもんじゃないんだよなって感じてみーんな止めたんです。そうしたら本当に楽になり、コンディショニングも逆に安定しました」と。

 

 己の「感覚」を身につけてしまった超越した人は、専門用語を並べた余計な言葉は必要ない。

 いわば、こうしなければ実力を発揮出来ないと言うレシピが無い。ボクには結局どっかで拾ってきたようなチープな知識とこだわりのある「ヘボレシピ」が多数存在しているから、そのレシピから道を逸れた時くだらない事で調子を落としたり、悩んだりするのだ。

 

 

 

 

 うちの母の作る「ソースかつ」のソースは世の中にあるソースで一番ウマいと思っているのだけど、作り方を知りたくで聞いてみてもレシピが存在しない。

 作っている本人でさえ「分からない」と言う。

 

 もはや、「これを100g」とか言って作るものではなく、目をつむって適当にジョボジョボいれてりゃ勝手にあのソースが出来てしまうのだろう。

 

 完全に超越している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高校生らしさ」とは・・・

 夏の甲子園も、猛暑のなか熱戦が繰り広げられ、我々を楽しませてくれています。

 そんななか、「超遅球」の是非についてグランドの遥か外で議論が交わされていましたね。この件について、「高校生らしさ」をポロッとつぶやいた元アナの方に矢の嵐が降り注がれる結果となりました。

 ボクは極論「打たれなきゃどんなフォームだって、球だって良い」派ですが、(身体を痛めない形であれば)「超遅球」については良いとも悪いとも思いません。

 志村けん作詞「からすの勝手でしょ~」です。打たれるか、抑えるかの中で彼が選択した事は彼が責任を負う事で、良いも悪いもありません。


 しかし、「超遅球」を無しにしても、彼の投球は見事でしたね。小柄で馬力がどうしても不足に思える面を、いかに頭で「考える」かで克服していくかが垣間見えて、感服しました。その中で行き着いた1つが「超遅球」であるなら、その視野の広さ、思考の柔軟さ、大胆さは圧巻です。

 彼に野球以外の事をさせても、同じように他大勢が思いつかない、又は思いついても実行できない事を始めるのでしょうね。どこかでまた名前を見られそうで楽しみです。



 さて本題の「高校生らしさ」。


 この件については過去にも松井くんの5打席などてもたまに議論になりますが、結果的に毎回「議論」する事自体が誤っている。で片が付きます。

 外の人間があーだこーだ言っても、松井くんが泣きながら「ルールなんで・・・」と言ってしまえば、それに勝るものなし。


 スポーツの存在自体が「騙し合い」(世の中はキレイに「駆け引き」と呼ぶ)の積み重ねにより成立するものだから、そこに「高校生らしい」と言う勝手な世間の願望や空想みたいな物を求めると、却って矛盾でしかなくなってしまいます。

 


 そこに最近、ボクが非常に気になる行為があるんです。


 ボクらが高校生の時には無かった行為なのですが(あまり見かけなかった)、バッターが構えて、投球を待つ時に、キャッチャーの構え位置を横目、流し目でチラっチラっと見てるんです。甲子園でもやってる子いっぱいいます。

 

 ボクらの頃はなぜ無かったかと言うと、ベースコーチまたはネクストバッター等から、あからさまに「外ー外ーっ」とキャッチャーの構えた位置をバッターにご報告していたからで、酷いのが、ランナー2塁の時はその2塁走者が、構えた位置どころかサインを見てから球種までジェスチャーで教えていた訳です。

 当時なんて、偵察部隊が次回対戦するチームの監督さんをずっとビデオに撮り、サインの解析まで普通にやってましたからね。どこが「高校生らしい」のでしょうか(笑)


 このような行為が卑怯に当たるとの事である時から全面的に「禁止」となり、あからさまな行為は一掃されたのです。


 結果、「あからさま」だとダメって言われちゃうからコソコソやっちゃう。バレちゃダメよ♡コソコソしだすと余計にコソ泥感が出て情けなくなる。その末路があのチラっチラっです。

 

 かわいい子が通り過ぎる時の男子の視点と同じです。チラっチラっ。バレちゃダメよ♡


 いずれにしても、「外ー外ーっ」って言われて待っていても平気でインコース来ちゃうし、高校生のコントロールなんてあってないような物だし、有能なキャッチャーは当然それを逆手に取るから、どれだけチラっチラっ作戦が有効かは分からない。やるもやらぬも結果は自己責任。


 掘り返して探ると「高校生らしい」と言うところは、直接プレー内に求める事ではなく、プレーが止まった合間や試合前後などでいかんなく出してくれれば良い事で、スポーツの中身は、「らしさ」などと語る場ではないと言う事ですね。



 


ひと手間の意義

 料理番組などを観ていると、必ず出てくるのが、

 

 「ここで、ひと手間加えるのと加えないのとでは、味が全然違うんですよ」

 

 「ズルズル  あっ、なるほど、変わるモンですねぇぇぇぇ。」・・・と言うやり取り。

 

 「ウソつけ」とボクは思う。

 

 水にサッとくぐらせてとか、粗熱を取るとか、余熱で火を通すとか、やってるのはそんな類。ボクのバカ舌では、そのひと手間に気づく自信は全くナシ。そんなに手を込んだ事をしてもらったら、ありがたいを超えてかえって申し訳なく思う。

 

 だから、我が家の夕飯は、極力簡単なもので良い。料理が完成し奥さんが水場の片付けをして席に着くころにはボクは下手すれば食べ終わっている。そんなレベル。大味のエリアがおいしければ全く問題ない。

 

 1品に5時間かけても、10分で出来ても、食べる側は5分で終了する。で出る言葉は「うまい」の一言。それ以上でもそれ以下でもない。味覚に関して脳ミソのインフラ整備が進みすぎているのだ。

 

 この場合「ウソつけ」と思ってしまうボクが追突事故の10:0で悪いのであって、「この焼き加減が絶妙で、香ばしさの後にほのかな甘さが・・・」などと言う脳回路センサーがそもそも存在していないという残念さ。「うまい」と言う終着駅には夢のリニア並の速さで到達する。

 

 こんな輩に対する「ひと手間」と言う行為は、自分はここまで手間をかけたぜ!と言う自己陶酔に浸りたい場合にのみする事なのかもしれない。(あくまで、ボクのような貧乏舌の話)

 

 

 話はだいぶ違うかもしれないが、こんなボクでも、ひと手間をかける事がある。

 夜な夜な寝苦しい夜に、エアコンが活躍する時期。ちょっと寒い程にエアコン回して、あえて羽毛布団に包まり、足だけちょこっと出すという「ひと手間」 ひんやりした足先がなんともキモティうぃぃー。

 いったん裏へ攻めての表返しが良い。

 

 ここは、エアコン回さずタオルケットでは成し得ない感覚なのであります。表の表だから。

 

 真冬に短パンの電気毛布も、なかなかオツなもの。冬の短パンと言う裏へ行ってるからね。

 最終的には夏も冬も、くしゃみをし始めて怒られると言うオチなのですが。

 


 そういう今もドリップコーヒーを気取って飲んでいるけど、缶コーヒーをドリップコーヒーに変えると言うのはちと違う。これは「ひと手間」不認定。そもそも種目自体が違う。

 どっちでもイイんだけど、どっちがってったらさすがのボクもドリップがイイ。

 

 ってな感じでドリップする時に、少量のお湯を1周たらして、1分程粉を蒸かしてみる。

 ここがひと手間!!!

 そうやるとイイって言ってたから、いつもそうやってる。完全なる自己陶酔。

 で、結局全然違いが分からない・・・。

 

 挙句の果てには、パソコンに夢中になり、ひと手間かけたコーヒーの大半が覚めてしまっている情けなさ。

 

 けど1分蒸かし・・・続けるよ。それがイイって言ってたから。

 

 

 

 

 

 

こけても、タダでは起きませぬ。

 すっかり6月の更新をさぼっていましたところ、周知の方もいらっしゃいますが、去る6/27に私、左足のアキレス腱断裂というケガに見舞われまして・・・。

 

 皮肉なことに6月は下肢~足関節~足部の骨格を学ぶセミナーにも参加し、それこそケガをした患部周辺の知識のスキルアップに全力を注いだ月でありました。

 

 その月の最後にドカンとやってしまいました。脚にまつわる月だった6月の総まとめ。

 

 「アキレス腱断裂!」

 

 これで、ケガをした方の気持ち、リハビリ方法、ケガの発生のメカニズム、予防法等を学びなさいと言うある意味実地訓練を命ぜられた格好でしょうか。きっとそうです。

 

 こけてもせっかくですから、何かを掴んで起き上がらないと。と言っても、アキレス腱を切ったその瞬間実際にこけてました。でもちゃんと掴んでました。プロ野球の試合球を。

 

 事故発生場所 

 6/27 横浜ベイスターズ対広島東洋カープ(横浜スタジアム) 一塁側応援スタンド

 

 経緯

 4回表終了時、ベンチに引き揚げる選手が試合球をスタンドにサービスで投げ入れた際、ちょうど目の前に来たボールを取ろうとした時、同じようにボールを取ろうとした他の観客に押し倒された瞬間。

 

  診断結果

 左アキレス腱完全断裂 手術後6週間のギプス固定→リハビリ用装具着用 全治約3か月

 

 病院の方の談話

 「長年、いろんな理由を聞いてきたけど、この理由は初めてだねぇ。ほんとに災難だったねぇ。けどボールが取れてほんとに良かったねぇ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

野生動物出会い系

 本日はちょっとお休みをいただいて、サイクルロードレースの「ツアー・オブ・ジャパン」の南信州ステージの観戦を予定していたのですが、この悪天候により断念。ネットでの中継の観戦となりました。あー行けばよかった。

 

 趣味の自転車に乗っていると、車では気づかない様々な自然の出来事に遭遇します。

 

 その中で時折、雉(キジ)に遭遇する機会があります。半年間で7、8回程道端でぴょんぴょんしているのを見かけました。ついペダルを止めて眺めてしまいますけど、やはり雉のオスは美しい色合いです。昔からたまーに見かけましたけど、普段どこに隠れているんですかね。

 

 で、その7、8回のうち、半分くらいが、雄雌2羽での遭遇です。

 

 必ずオスが先に歩き、追いかける様に薄茶色のメスがついていく。キジ界では男尊女卑の社会なのでしょうか。でも、ほほえましい光景です。

 

 キジを見てたら、ふと思いました。

 

 「キジのオスメスはどうして出会えるのだろう?」

 

 野山で偶然バッタリとかっても、そうそう雉なんていないぞ。

 臭いかな?鳴き声かな?雉社会の出会い系があるのかな・・・?


 魚でも虫でもそうですけど、なんで同じ種類で出会えるんだ?携帯電話もないし、婚活パーティーもない。海千山千の広大な中で野放し、さぁ仲間に出会いなさい。

 うーむ、たくましい。

 

 子孫を残す本能で意地でも相手を探し出す。

 なんとか候補の子を見つけたら、ここぞとばかりに求愛行動。

 たくましい。

 

 となれば、たくさんの数がウヨウヨし、言語を操り、コミュニケーションツールも発達しているのにも関わらず、「出会いが無いんです・・・」って何のこっちゃね?って感じてきた訳で。

 その場合は本人にも、別に今出会わなくてもいい気分が存在しているんでしょうね。きっと。そうじゃなきゃ、動物の皆様に笑われる。

 それだけ人間は他人に対する感情表現が苦手になったのかと言うことですよね。

 そしたら、人間界でも、求愛の際は、好きな人の前で、こんな踊りを踊りましょう!という求愛ダンスや、この旗を付けている人は恋人募集中!なんて法律を作っちゃえば良いんじゃないですかね。いちいちお互いが勘ぐりあわずに話が早い。

 人口激減、少子化問題の解決法の一つとして、出会いの方法を簡単にする。ふざけ半分で思いついた事でも、ちょっとありかもなんて思ってしまいました。
 ちょうど今の世代の方にマッチングしてませんか?

 

 さびしい話ですが。

 キジのたくましさのお話でした。あはは。

 

 

 

 

禁断の行為

 

 タブー (taboo) とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという決まり事で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。  ウィキペディアより。

 

 世の中の日常では、法律違反も含めて、それ以外でも、「常識的に考えて」これをしてはならないという境界線を越えた事柄を「タブー」などと言いますけど、この「常識的に考えた上での境界線」と言うやつが、その人自身の生きる世界によってかなり変化します。

 

 入れ墨であったり、女装であったりでも、その世界で生きる方にとっては「タブー」ではなく、真逆の必要不可欠な事柄に変換されます。

 また対照的に一般人が「それくらいいいんじゃねーの?」って思う事柄さえも「タブー」になっちゃう世界だってあります。牛肉食べちゃダメです的な。

 

 結局世の中のタブーはタブーでないとも言え、タブーでないものもタブーであると言えてしまって、その人の生きるステージを変える事でどの様にも変換できてしまう訳でして。

 

 

 

 そんな中、本日一般的な世間ではタブー視されている禁断行為をボクは1つ犯してしまいました。

 

 

 

 

 日課となっているサイクルトレーニングを終えた後のシャワーの時に、両脚のオケケを剃ってしまったんです。  トゥルットゥルです。トゥルットゥル。

 やっちまった。出家の気分。

 

 それなりに先日から考えてはいたんです。脚のオケケはどーしたもんかいなと。

 

 ふと手に取ったサイクリング雑誌のなかで、「脚のオケケを剃るのは、マッサージをしやすくとか、ケガが早く治るとか諸説ありますが、そんなんはともかく、サイクリストとしてのマナーです!」と書かれていたのを目にしてから。

 

 一般的に脚のオケケを剃っている男子「キモい」でしょ。

 けど、自転車乗ってる世界ではオケケがマナーに反するなんて・・・!

 

 クーっ。そう言われてしまうと、これからの季節、短いパンツで脚丸出しのオケケボーボーの時点で心理的に、違反点1点の違反金¥5000の気分じゃないですか~。

 知ってしまった以上、対処しないと気持ちが悪い。素人サイクリングのくせに、脚を見られて

 「ハハーン。だせぇな。」と思われたくないーっ!と言う無意味な感情が現れるのです。

 

そんな気持ちが勢いを付け、思い立ったら善は急げとラムダッシュのバリカン機能でウィンウィン。

 

 刈れるわ刈れるわ。グルグルメーの羊さん。

 途中で気付いた・・・「ナニコレ、チョット、タノスィーゾ」

 

 ウムム、春の草刈りに精を出すおじさんがいれば、同じ時間に風呂場で自らの脚毛を刈るのに必死のボクがいる。

 あれだけ悩んだのに始めてしまえば、徹底してやりたくなる。アホ人間の悲しい性ですな。

 

 結構時間かけて刈ったのに、何回も往復でやったのに、どうしてもどっかに奇跡の生存者を発見してしまいスッキリしないのであります。

 

 「よし」と納得の出来栄えになるまでに20分は費やしたでしょうか。

 

 歩いてみると、初めての感覚。なんか身体が空力学的にアップデートされたみたい(笑)

 こりゃ速くなるぜ。なんでしょう。空気を切り裂く!じゃない、空気を逃がしている?何でもいいや。んー今まで感じていた抵抗が確かに無くなった不思議な気分です。

 

 人間のバランス感覚も耳の奥深くにある蝸牛(かぎゅう)の中の繊毛細胞のオケケの流れで保たれているらしいので、(このオケケの流れが乱されるとめまいが起きます)結構、毛の流れって身体の感覚に影響を及ぼすのだと勉強になりました。

 

 ヤヤ、そんな事を学んだと言うより、奇跡の生存者が1本でも残っている事がタブー視される女性の陰ながらの努力、労力が実はすごい事だと気づきました。

 

 いや、これ、トゥルットゥル状態保つの面倒くさぁ・・・。

 

 女性らしさをつい追い求めすぎる傾向があるという男性諸君は、もう少し寛容になりましょ。

 

 

 

 

 

なぜそうなったのか。

 ぼくの愚痴を聞いて下さい。

 

 周囲の方はご承知の通り、ぼくはあるプロ野球球団を応援し続けています。ファンクラブにも入会しています。

 開幕をひと月も前から心待ちにし、ハラハラドキドキの時期を迎えたのもつかの間、テンションはがた落ち、結果も目を覆わんばかりの散々なる内容。

 

 野球は何が起きるか分からない物であり、勝ち負けを付ける「スポーツ」だから、負けが続く時もあります。そこは理解しております。

 

 が、それが毎年、毎年変わらぬ内容で負け続けていては、結局のところ、オフに何をやっていたのですか?と思うのです。

 

 

 去年ストライクが入らないで苦労したピッチャーがいました。今年もやっぱり入りません。去年と全く同じ投げ方です。

 そりゃそうでしょ。同じ投げ方なんですから!あれじゃいくら投げても入らんと一目見たら分かります。

 それじゃ高校時代のぼくと同じレベルです(今の感覚で当時に戻りたい)

 

 学生にも同じ話をします。打てなかった、活躍出来なかったでへこんでいる暇があったら、次に同じ事を繰り返さない方法を考える所で悩みなさい!と。

 ストライクの入らない投げ方で1000球投げても、ストライクの入らない投げ方が上手になるだけですよね。

 

 

 あのチームは、なぜそうなったか根本から考えていたのでしょうか。

 

 もしいたら、今年急に横手投げになったって選手が1人位いても良いと思うのですが・・・。

 ファンの身勝手な想いです。