奥さんに言われてしまった。「こういう人いるよね(笑)」
ちょっと前にいぐっちゃんの「Lynx」で買った黒のつば付きのハットを被ったら。
ムー!なんだこういう人って!言いぐさが気に食わんと、
ケタケタ奥さんをよそ目に自分で鏡をチェッキング!
「確かに・・・いる。こういう人(苦笑)」
見た感じ、売れないけど強烈な個人の世界観に固執するミュージシャン。口癖は「理解できねぇヤツには一生理解できねぇ」理解したくはないのである。
気付いたんですけど、いかにも!って人いっぱいいませんか。んーと、なんでもいいんだけど、いかにも板前さん!いかにも警察官!いかにも看護師さん!いかにもショップ店員!いかにもTVのコマーシャルに出る予備校の先生!
あれなんでなんでしょ?
あの黒の帽子被って、シロのシャツ羽織って、タイトなジーンズを履いて、ギター片手に無精ひげスカルの指輪で「どーも。1曲歌います。」ってったら。あぁなるほどね。なんだけど、その恰好で「どうも。息子さんの担任です。」って言われた瞬間に身の毛がよだつ。
考えてみると、「こういう人」って前に、環境やらなにやらで、この職業はこういう姿勢で臨むもんだ。臨むのが普通だってのがあって、架空のイメージ人物像がそこに存在する。そのイメージは大多数の人がおそらく同じ方向を向いた人物像を想像してる。先生ったらこうあるべき。警察官は鋭い目つき(ドラマの見過ぎ)みたいな。
自分はその枠から外れない様にしないといけないし、外れる勢いもない。それが安全だから。周りに変わり者と思われたくない。
逆を言えば、同じ環境で同じ方向を向いていない人間が入った途端にその人間を攻撃し始める。その変わり者を排除したがる。だから「いじめ」が存在する。
今どこぞの市全体の「いじめ」問題の様に、中学校で起きたからあんなに大きく報道されるけど、大人の世界じゃゴロゴロしてませんか?こんないじめの類いの話。
大人が平気でそんなんやってるから、子供の世界で「いじめ」なんて無くなる訳がない。同じ方向を向いた人の中にいじめる側の人っているから、案外、外面が良くて、あの人が?って思う様な人が裏でいじめをしていたりする。・・・様な気がするな。
あれ、帽子から話しがだいぶ逸れたけど、結局「こういう人いる」って言葉に反意は持ってみたものの、ぼくも自分から「こういう人」になってる事で世間の感覚から逸脱した最先端ファッションリーダーでないって事に安心しておるんです。結局。
修行が足りません。ハイ。
ついついありゃ違うだろって言ってしまうけど、自分とは違う。周りとも違う人を、避けていくのではなく、それはそれとして認めていく感覚をもっと養わないといけませんな。とは言うものの、もとよりTシャツ短パン人間には、奥さんの言う「こういう人」に成りすまして、ベルシャイン駒ヶ根を歩く勇気はまだ湧いてきません。