超越した人

 「超越した人」=理論や常識をきちんと理解したうえで、更にその先の世界に行っちゃった人

                                  (by サクペディア)

 

 毎月1回発行される自転車の専門誌を買いにママチャリをキコキコ。

 どれどれと楽しみに開いてみるのだけれど、未だに内容の半分以上は意味が分からない。パーツの名前聞いてもそれがどこのどのパーツかも分からん物もあれば、最初からアルファベットの頭文字で略されて表記されている専門用語も出てくる。(このくらい分かっているレベルの人が読んでいるだろうの感じがあまり好きでない)

 

 こういう物を読みながらとか、実際の専門家の方たち、レベルの高い方たちと交流することでいずれ理解出来る事であるけど、それらの事についてちょっと気づいた事がある。

 

 自転車もだけれど、あらゆる専門的なスポーツ雑誌を読むと、かなりのレベルまで到達された方々があらゆる角度から自身の考えやアドバイスを提示されている。

 基本をベースに話を進める場合と、実戦レベルをべースの場合。それと完全に個人の経験、考え方から進める場合。事細かに膨大な情報である。

 ここまでの専門知識と実力があったら何をやってもさぞかし楽しいのでしょうな。と思う。

 

 

 しかし・・・自転車で日本の頂点に立った事のある福島晋一さんが、「クーリングダウン」について、ボクと会話をしていた時こんなこと言っていた。

 

 

 「川に飛び込めばいいんですよ。ボクはその為に飯田に住んでるんですから」

 

 

 氷水で1回10~20分などと提唱しているボクを嘲笑うようなこの一言(笑)

 ボクはその時唖然としてこう思った。

 

 「超越してんなぁ・・・この人・・・。」

 

 

 「アイシング」の方法を問われれば、10分だ20分だなんて実数を説明するし、専門書を見ても多少違いはあれど、似たような方法が説明されている。

 自転車雑誌にも、この自転車の乗り味はこうで、こんな乗り方をされる方に合っていて、こんなパーツがマッチしていて、と。他のスポーツ誌でもそんな感じだし、それを読んで知識を付けたボクらみたいななんちゃってアスリートは、己の情報量とこだわりを「これでもか!」とひけらかし、周りの人間との差別化を図ろうとする。

 

 「スゲーだろ。ボク、こんなところにこだわっちゃってんだぜ。」って。

 

 結局こういった膨大な情報やこだわり(もはや自己満足)は、一般人~ハイレベルのアマまでに向けられるものであり、更にその先の「スペシャルに超越した人」にはどーでも良い話なのである。

 

 実際はどーでも良くはないんだろうし、選手毎セッティングはミリ単位で細かく調整されているそうだから、きっと一般人の何倍も細かな面に気を使っている。でも一旦チームに所属したら、バイクメーカーを選手は選べないから自分に合わないバイクが供給される事だってあるし(現に福島さんもそれは言ってた)、マッサーがケアし続けられる環境でもないのに、体調は翌日までに戻さないといけない時もある。

 

 

 環境が自分に合わせられない時は、自分が瞬時に順応していかなきゃ世界を相手にやってけない。だから、いちいち緻密な事あーでもねーこーでもねーと言ってる場合じゃなくなって、どっかで妥協点を瞬時に探し、答えを見つけながら結果を出していく。

 「氷嚢と氷が無いから、今はアイシング出来ない」なんて言ってるのは甘っちょろい証拠で、「時間がない」「めんどくさい」なんて言ってるのは論外だ。

 

 それをグダグダ言ってねーでそこの川に入っちまえば良いじゃねーか。の一言で片が付くのである。

 

 完全に超越している。

 

 

 あるプロも言っていた  「昔、自分でいろんな事や道具まで、ものすごいこだわりがあったんですけど、それがかえって足かせになってるのに気付いて、ある時に、そう言うもんじゃないんだよなって感じてみーんな止めたんです。そうしたら本当に楽になり、コンディショニングも逆に安定しました」と。

 

 己の「感覚」を身につけてしまった超越した人は、専門用語を並べた余計な言葉は必要ない。

 いわば、こうしなければ実力を発揮出来ないと言うレシピが無い。ボクには結局どっかで拾ってきたようなチープな知識とこだわりのある「ヘボレシピ」が多数存在しているから、そのレシピから道を逸れた時くだらない事で調子を落としたり、悩んだりするのだ。

 

 

 

 

 うちの母の作る「ソースかつ」のソースは世の中にあるソースで一番ウマいと思っているのだけど、作り方を知りたくで聞いてみてもレシピが存在しない。

 作っている本人でさえ「分からない」と言う。

 

 もはや、「これを100g」とか言って作るものではなく、目をつむって適当にジョボジョボいれてりゃ勝手にあのソースが出来てしまうのだろう。

 

 完全に超越している。