謝罪の分かれ道

 先日ある出来事に遭遇し、「人に謝る」というときのタイミングについて考えさせられました。


 ちょうど、あるジャーナリストの方が、謝罪を行った某新聞社に対し発した「遅きに失した」と言う言葉が、「謝る」と言う行動に対する注意点をそのままを表しているのに気が付きました。


 その出来事とは・・・


 ぼくはあるラーメン店で、ごく普通のしょうゆラーメンを頼み、奥さんは辛ネギがのったミソラーメンを頼みました。いつも同じものを頼むので、メニューも見ずに注文。味もぼくのバカ舌でも何度も食べて覚えています。

 

 その時調理人は、ホールの女の子とずーっと楽しそうにおしゃべりしながら作っていたのが正直気にはなっていたんです。


 で、出てきたラーメンがと言うと・・・。


 明らかにぼくのしょうゆラーメンに一回辛ネギをのせて、間違いに気づき取り除いた形跡があったんですよね。スープも赤いし、中にはまだなかなかの数のネギが残ったまま。

 味もへんてこりん。いや、酷い味。いつも食べてますからすぐに気づきます。


 そこで、ぼくはその調理人の人に「ねぇ、これ一回辛ネギ入れてるよねぇ?」と聞いたんですね。

 この段階で沸点はまだ20%。さすがに「仏のさくちゃん」


 で、調理人。やっちまいました。


 「あ、間違えてのせちゃってぇ。作り直しますかぁ?」


 ですって。オホホホホ。沸点測定不能。


 「いや、いいです。」とやんわりお断り。

 「作り直しますかぁ?」の一言に、もう食べる気を完全に消失。


 もったいないですが、とても食べられる味でもなければ気分でもなくなって、即座にご退店。

 その時事の重大さに気づいた調理人の方もようやく女の子とのおしゃべりを止めて、謝罪になったのですが・・・。この段階で謝られてももう席には戻れないし、ぼくだって気まずいからどうにもならないんです。


 間違いはだれでも起こすから、ネギをのせちゃった事は全然仕方ないのでいいんですが、

 「イイやこれで出しちゃえ。どうせ分かんないし」って出しちゃった事と、指摘されてから、「バレました?じゃぁ作り直しますぅ」ってポイントでぼくのダムは敢え無く決壊。


 後で冷静に考えたら、出す前に「すいません、間違えて作っちゃったんで、もう一度作り直しますのでお時間下さい。」だったら何の問題も起きなかったんだろうなぁと、ぼく自身考えました。


 結局、謝られる側の許容量は、時間軸と共に細くなっていく。

 大事なのが「気づいた時点で、全て正直に全力で謝る。」と言う事なのだと学びましたよ。


 

 記憶も遠い過去に、とりあえず謝っとけって「ゴメンね。テヘヘッ。」ってすぐに謝っても通用しなかった理由はまた別問題として後日考える事と致しましょう。