・・・らしい。

すっかり月1程の更新になってしまいました。

ちょっと忙しくもあったこの頃です。


狭い世間の中に生きていると、どこにいても

「・・・の○○さん、~~らしいわよ。」

なーんて話は湧いてくるものです。


週刊誌でもなんでもそうなのですが、冷静になって振り返ってみると、「そんな訳ないじゃないか」「どっちでもいい話だ。」「本人同士の事だ」と思えるのですが、いきなりその場で自分が聞き手側の立場で話しを聞くと、「えーそうなのう?」と興味がそそられてしまうものです。

その内容が、事件色が強かったり、スキャンダラスな事になればより一層聞き耳を立ててしまうのが人間の性と言うものでしょうか。


聞くだけならまだ良しとして、今度はその仕入れたネタを他の人にも知らせてあげようと、要りもしない親切心を発揮して、周囲の人に話し出すとさぁ大変。

「伝言ゲーム」なんて遊びが成立するほど、人から人へ話を伝えるという事は曖昧なもので、2、3人も伝われば話のどっかはもう違ってる。


そう思いながら考えてみても、情報社会で簡単に情報が得られるようにはなったけど、その情報のほぼすべてが「又聞き」で得ている情報なんですよね。世の中のどっかで起きた事をどっかの誰かが拾って書いて情報を送っている。僕の手元に届いた物は、最初の原型とどれくらいリンクしているかもはや分かりません。書き手の感情もあるでしょうしね。


確信を持てる情報というのは、実際の現場に居合わせた当事者本人でない限り、100%保証を付けて正しいとは受け取ってはいけないなぁと感じています。

情報を疑いだせばきりがないのですが、100%の確証を得るにはやはり、当事者になるしかないのです。


「勉強、勉強」と張り切って書物を読み賢くなったつもりでも、その書物に書かれた知識というのは、著者または研究者が得た認識、確証であって、いったん当事者から離れてしまえば「・・・らしい。」と言う情報になってしまいます。


誰かが書いた「研究の結果、○○筋のストレッチは~~の効果をもたらす」と書かれている文章を読んだだけの事でイコール「私はこんな知識を知っている。頭がイイ」ではないのですね。だって自分がその効果を実感したことないんですから、仮に科学的な効果が証明されていても、それが本当かどうかはまだ自分では分かっていない訳です。


ホント、へそ曲がりな意見のようですが、私が専門とする人体に関わる知識については、とかく日和見の様なところがあり、昨日まで正解だった事が、翌日には否定されているなんてのがザラにあるのです。


「~~オイルを塗ると、デトックス効果があるんですよ~。」なんでテレビを観ていると、アヒアヒしちゃいます。オイルのラベルにそう書いてあればそう言うでしょうけど、実際あなたはデトックス感じたの?そもそもデトックスってなに?ってみたいな。


ですから専門家の中でも、真っ向意見が食い違う事もありますし、「自分、こんなに知識あります」と大っぴらなアピールをする方もいらっしゃいます。ではその知識が、世の中全員にマッチするとも限らない訳です。

知識はある事は悪い事とは思いませんが、上辺だけの知識ではなく、やはり自身で確証を持つまで深めなければ本質は分かり切れないなぁと感じております。


結局もって現場の声が一番の確証的な情報ですよね。

そう言いつつボクも、実際自分が行って実感出来た事をお客様には勧めるようにはしていますが、「・・・らしい。」で身に着けた知識を使っている事も多分にあります。ミーハーなんで最先端技術とか、「○○に効果あり」とうたっているものにもすっごい興味ありますし・・・


「・・・らしい。」には気をつけなくてはいけませんです。