なぜ、それでなきゃならないの?

すっかり夏の陽気の過ぎ去り、ブログの更新を開けてしまいました・・・。と言っても前回の更新から2つもブログをボツにしておりまして(書いているうちに自分が混乱してしまうw)、ネタが消え失せてしまった次第なのでございました。

 

この季節、衣服選びが難しく、頭を悩ませ結果ほぼ毎日変わりもせぬ選択肢をチョイス。真冬までなんとか凌ぎ切る事になるのですが、ファッションと言うものは本当に難しいものです。

 

スポーツではユニフォームが存在し、それを着ていれば済むので(ゴルフなどは大変ですね)、それほどファッション性について頭を抱える事は少ないのですが、それでも、「なぜ、それでなきゃならないの?」と思うものがいくつかあるのです。

 

まずは、ソフトボール(女子)。なんで短パン!擦り剝けるでしょ!

それから、帽子でなくサンバイザー!暑い!日に焼けるわよ!

あれなんででしょ?と思って、ソフトボールを長年やられてる方(40代女性)に聞いてはみたんです。

 

「なぜ、ソフトボールは短パンなのですか?

「なんでだろー、強いチームほど短パンだったから憧れたぁ」

 

「あなたは短パンでプレーした事は?」

「ないない、上のレベルじゃないと穿けない」

 

「憧れていたんですよね?だったら来年短パンでとチームに提案してみたら?」

「ムリムリ♡」

 

「では、サンバイザーは?」

「そういえば、なんでだろうね。ウフフっ」

 

「・・・ありがとうございました。」

 

と、まぁ答えにならない答えを頂いたところで次。

 

 

ビーチバレー(これも女子)。明らかにビキニにした方が競技力が増すのであれば理解のしようもあるのですが、ビキニでなければならない理由が見つからないのです。確たる理由がなければそれこそ興味深々メンズの目の保養になってしまう!こいつも国体に参加したウィメンズに聞いてみよう。

 

「なんでビキニなの?」

「分からないです。ビーチっぽさ? でもトップレベルは必ずビキニでって言うルールありますよ。」

 

「へぇ、ビキニの方がやりやすいとか、現場ではなにかメリットとかないの?」

「私の場合はないです。むしろビキニが嫌だからって、競技人口が増えないんです。」

 

・・・だそうな。

共通しているのが、本人たちはいまいちその理由は分からないと言う事と、トップレベルがそうしているという事の2点。日本人のファッション感覚の特徴である「真似ておけ」の名残でしょうか・・・?

 

 

その真逆もあるんです。

それが野球なんですが、ほら、足元のストッキング。今やスパイクまで覆い隠すようなメジャーリーグスタイルもあるのですが、日本のプロ野球はOKで、高校野球や軟連関係ではNG!ストッキングは出しなさい!なんです。

安全面ではストッキング+ズボンの2枚構造になるメジャーリーグスタイルの方が安全だと思うのです実際にダメなんだって・・・。でもストッキングを履く理由は「安全面の考慮」なんですよ。矛盾。

 

おかしな事なんですが、プレーする側としても、メジャースタイルの選手が相手にいるとなんだかチャラっぽく思えて勝てそうな気分になるのは事実なんです。「草野球っぽいのがいるぞ」って。だから、メジャースタイルにするべきとも思っていないんですが、なんでルールにしなきゃなのかが分からないのです。

 

以前、審判の方に聞いてみた事がありますが、その答えが・・・

「そういうもんだ」

ってんです。規制する側も理由を持っていないんですね。

 

でもみんな、なんとなく理由は分かっちゃいるんですよ。

「ダセぇ」んです。いや、言葉が悪いな。「見た目が悪く思える」んです。

日本人野球の場合、プロだとそっちの方が自然なのに、高校生、一般人が真似ると超ダサく見えてしまうのですよ。不思議とこれがまた。なので、ソフトボール、ビーチバレーはレベルが上がる程、服装をトップに合わせにいくのに対して、野球はトップと草野球のピンとキリの規制が緩くて、学生からノンプロまでは制限が厳しくなります。

 

このスタイルの出どころが、ガム、噛みたばこクチャクチャ、唾ぺっぺのメジャーリーグ舶来物ってのも要因ではあると思いませんか?これがもし日本のトップメーカーが発案した「最新の安全面を最大限考慮し、くるぶしまで覆った日本独自の侍デザイン!」として始まっていたらまだ扱いは違っていたような。

 

トップレベルに真似て行ったソフトボール、ビーチバレー。トップレベルとは一線を画した野球。どっちが良いとかでなく、どっちもなぜそうじゃなきゃならないのかをプレーヤーが知らない事実。

審判の答えが一番日本人の発想の的を得ている気がします。

 

 

とかく同じ様に、教える側、規制する側、伝える側もその理由が分かっていないのに、自分もそうされてきたからと後世に横流ししている事が多々ありますね。

「そういうもんだ指導法」は教えられた側の「なぜ?」「こうした方が良いんじゃないか」「自分がこれをやりたい」と言った自由な発想力を奪います。これは指導者本人の信じる正解であって、生徒側の正解ではないかもしれません。これは指導側の怠慢です。


もう、考え直さなければばなりません。